三日月レモンのちょこっとエッセイ

絵や絵本を描いて暮らしています。日々の思い、感じたこと、体験したこと、過去のこと、そんな何気ないことを書き綴っていきます。

青い空は青いままで

ブログ生活154日目

 

私は生まれてから10歳までを長崎で過ごした。

 

なので毎年この季節、この時期になると必ず思い出すことがある。

 

8月9日の日のことを。

 

この日は毎年登校日で、祈りの日だった。

 

私にとって、原爆は、体験してないことだったが、生まれながらにしてとても身近なものだった。

 

大阪から嫁いできた私の母も、長崎に住むようになって1番驚いたことは「テレビやラジオで原爆のことを聞かない日はない」ということだったと言っていた。

 

私の通っていた小学校の視聴覚室にはいつも原爆や、被爆者、当時の長崎の様子のパネルや資料が展示されていて、いつでも視聴覚室の扉は開かれていた。

 

また、8月9日の登校日の日や、授業の一環で原爆のことを勉強した時、社会科見学で原爆資料館を訪れた時は必ず語り部のおじいさんやおばあさんの話を聞いたので、原爆は生活の一部といっても過言ではなかった。

 

学校の図書室へ行けば原爆関連の資料や本、絵本なんかもたくさん揃っていたので、私は自習時間になるといつもきまって「はだしのゲン」を読んでいた。(何回も何回も読みました)

 

そして夏休み前には平和記念公園に献納する千羽鶴作りに全校生徒で一丸となって制作した。

 

また登校日に歌う「夾竹桃(きょうちくとう)のうた」と「青い空は」は1学期から音楽の授業で校歌並みに練習する歌の一つだった。

 

今日はその2つの歌の歌詞を最後に書いて終わりにしたいと思います。

 

原爆を体験してない私ですが、子供の頃はいつも身近に原爆のことがありました。

それは住むところが変わり、大人になった今でも深く心に刻まれていて、毎年8月6日、8月9日が近づくと、原爆資料館で見たパネルや資料、語り部のおじいさんやおばあさんの思いが蘇ってきます。

 

被爆された方、そのご家族、そのお友達…

原爆を知る方々の気持ちや思いなど私には到底分からない、薄っぺらな思いや祈りなのかもしれません。

けど忘れないように…あのおじいさんやおばあさんの苦しみ、あの無念な表情、涙をこれかもらもずっと忘れないようにだけはしていきたいです。

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夾竹桃のうた」

藤本 洋 作詞

大西 進 作曲

 

なつにさくはな きょうちくとう 戦争おえた その日から

ははとこどもの おもいをこめて ヒロシマの 野に もえている

 

そらにたいようが かがやくかぎり

つげようせかいに 原爆反対を

 

なつにさくはな きょうちくとう 武器をすてた あの日から

わかものたちの ねがいにみちて ナガサキのおかに もえている

 

そらにたいようが かがやくかぎり

つげようせかいに 原爆反対を

 

なつにさくはな きょうちくとう そこくのむねに おきなわを

にほんのよあけ つーげーる日を むかえるために もえている

 

そらにたいようが かがやくかぎり

つげようせかいに どくりつを

 

 

「青い空は」

小森 香子 作詞

大西 進 作曲

 

あおいそらは あおいままで こどもらにつたえたい

 

もえる はちがつの あさ かげまで もえつきた

ちちの ははの きょうだいたちの 

 

いのちのおもみを かたにせおって むねにいだいて

 

あおいそらは あおいままで こどもらにつたえたい

 

あのよ ほしはだまって つれさって いった

ちちの ははの きょうだいたちの

 

いのちのおもみを いま ながす とうろうの

ひかりに こめて

 

あおいそらは あおいままで こどもらにつたえたい

 

すべての くにから いくさのひを けして

へいわと あいと ゆうじょうの 

 

いのちのかがやきを このかたいあくしゅを 

うたごえに こめて

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