三日月レモンのちょこっとエッセイ

絵や絵本を描いて暮らしています。日々の思い、感じたこと、体験したこと、過去のこと、そんな何気ないことを書き綴っていきます。

言わなきゃ伝わらない

ブログ生活5日目

 

今朝、窓を開けると2,3歳くらいの子どもとお母さんが、手をつないで仲良く歩いていくのが見えた。

ゆっくりゆっくりと歩く親子の姿がとても微笑ましく、胸がジーンと温まるのを感じた。

この光景を一つの絵として見るとしたら、感じることは「愛」や「優しさ」「愛おしさ」であり、題名もそれらを連想させるものになるんだろうなと思った。

なんでこんなことを思ったのかというと、最近言葉や絵の見せ方で新たに思うところがある。

それは「言わなきゃ伝わらない」ということ。

その誰もが知っているような当たり前のことを私は今更しみじみ実感している。

実はその気持ちを強く感じたきっかけがある。

 

それはある映画監督が、自分の息子の初監督作品の試写会にいくという動画だった。

その父親は息子が監督になるということに大反対だったらしく、でも息子は反対を押し切って作品を作り上げた。

できた以上、世間の建前上か親の責任なのか、父親の心情はわからないが、とにかく父親は試写会に出席して息子の作品を鑑賞した。

そして上映中に一度席を立ち、インタビュー記者に対して「まだ1時間しかたってないのに3時間も座っている気分だ」と言って煙草に火をつけた。

そのたばこを吸い終わると再び席に戻り、一応最後まで鑑賞した。

そしてその後のインタビューでただ一言「自分の子供を見ているようだった」とつぶやいた。

 

「ん???」

私はその言葉がどう思って言った言葉なのかわからなかった。

そのテレビの解説では、この言葉は褒め言葉などではなく、「実に子供っぽい」「まだまだ幼稚」という意味だと語られていた。

私はこの息子の映画が大好きだったので、この父親に少しむっとした。

なぜならば私にとってその作品は慈愛や勇気に満ち溢れていて、誰の心にも真っすぐ入ってくる素直さを感じるからだ。

 

「わかりやすさ」「素直さ」「シンプルなこと」「言いたいことをそのまま伝えること」は私は大切だと思っている。

いくら自分の中で理想郷があって、それらをその世界観で美しく繊細に表現しようとしても、それを発表する以上「伝わらない」と意味がないんじゃないかと考えてしまう。

芸術は爆発だ」で有名な岡本太郎が言っていた。

『日本人はみんな「ピカソ」と知らずに彼の絵を見たら誰もが「ふざけている」「なんだこの絵は」「子供の落書きか」と言ったが、「ピカソ」という巨匠の作品だと知ったら「素晴らしい芸術作品だ!」「これぞアート!」とあっさり言い換えた』と。

そうなんだ、心の中は正直だから初めに見て「素敵!」なものは素敵だし、「なにこれ変なの」はなにこれ変なのだ。

 

今朝のほほえましい親子連れの光景は愛を感じるし、映画監督の息子の作品は真っすぐで素直で誰の心にも分かりやすい。

巨匠の父からしたら「子供っぽい」かもしれないが、子供っぽくて何がいけないのだろう?

自然界の仕組みはものすごく単純でシンプルではないか。

それを複雑にしたがるのは人間だけだし、複雑にしていいことなんてあるのだろうか?

わかりやすさ、その物事が持つ情景、シンプルさ、そういったものを絵にも文章にも取り入れたいと私は感じた。

たとえそれが子どもっぽかろうが、浅知恵だろうが、心にはそんな人間の見栄は関係ないのではないだろうか。

 

最後に写真家のアラーキーこと、荒木経惟さんが言っていた言葉で幕を閉じようと思う。

「じっくり考えて撮ったからっていいものとは限らない。パパッと撮ったっていいものはいい」

 

本日も読んでいただきありがとうございました。