何をやってもうまくいかない時
ブログ生活33日目
20代の時は自分の体や心にさほど目を向けていなかったが、30代になって体調の変化や精神の変化があったことをきっかけに、自分の中のバイオリズムに気がつくようになった。
それは好調の時と不調の時が交互にくるということだ。
このバイオリズムを知っているのと知っていないのとでは雲泥の差があるように私は思う。
もっと細かくいうとバイオリズムには、大好調、大不調、好調、不調の4つに分けられる。
大好調の後は大抵大不調か不調になるし、大不調の後は好調から大好調になっていく。
前の私なら、大好調や好調は「当たり前」「みんなやっていること」というくくりで目にも止めずに過ごしてきた。
反対に大不調や不調の時は自己嫌悪に陥り、周りと比べて落ち込み、「なんでこんなこともできないのだろう」「自分はもうダメだ」「ダメ人間だ」とひたすらに自らを罵倒し、とにかく焦って焦って焦って…………
少し話が逸れてしまうが、私はこの「焦り」という感情は人間の持つ感情の中で、大抵の場面において良くない作用をもたらすことの方が多いと思う。
もちろん物事は良い面の悪い面があるので、「焦り」が良いほうに働くこともあるだろう。
しかし、大抵は良くないと思う。
焦って失敗した、焦らなければできたのに、焦るからミスるんだよ、というように多くは失敗やミスとセットで使われる。
しかし自分のバイオリズムを知っていると、不調期に変に焦ったり自分を責めたりしなくてよくなる。
人間誰しも振り幅の差はあるものの、誰にでもバイオリズムが存在する。
人間だけに限らず、この地球も活動期や氷河期があるように、経済でもインフレとデフレがあるように、物事には必ずバイオリズムがある。
好調になるのも、不調になるのもごくごく自然なことで、当たり前なのだ。
好調だけの人はいない。
不調だけの人もいない。
人間だから好調も不調もあるのだ。
それは時間という概念が全世界共通ということと同じくらい、全てのものに共通なことなのだ。
だから不調の時に焦ることはない。
自分を責める理由にはならない。
不調の時は待つのだ。
寒い冬に暖かい春が来て新芽が出るのを待つように待つ。
ここで大切なのは「焦らない」ということ。
不調の時期に焦って何かを決断したり、がむしゃらに奮い立たせてもいい結果はほぼ生まれない。
大不調へ移行してしまうか、雪だるま方式に焦りを増やしていくだけだろう。
「あ、最近うまくいかないな」
「なんか気が乗らないな」
「やる気でないな」
と感じたら、私は「あ、不調期か」と思って他のことをしたり、休んだり、その時やって見たいことをして過ごすようにしている。
意外とこの時期が好調期へのいいきっかけになることが多い。
絵を描く日々から少し離れて、遊びに行ったり、本を読んだり、ぶらぶら散歩したり、買い物したりしているといいデザインに出会えたり、いい構図を見つけたり、いい色に出会えたりする。
花が咲いている時ばかりが華ではないのだ。
土選びや種選び、環境があっての花。
稲穂が実ってコメを収穫して次に備えて土を休ませるのと同じことだ。
不調期は次のための大事な準備期間なのだ。
よくよく考えたらそれを「不調」なんていったら失礼な気すらする。
「充電期間」「休息期」「土休め」
そんな名前がぴったりだ。
何度も言うが、大切なのは焦らないこと。
一休さんも言っているではないか。
「焦らない 焦らない 一休み 一休み」
ゆっくりとこの休息期を満喫して充電することが、良質な好調期へと繋がるのだ。