嫌いな人・苦手な人が理解できるようになる心理学
ブログ生活38日目
私が大学時代に心理学の勉強をして、一番知れて良かったことが「投影」である。
この「投影」を知ったことで、苦手な人や嫌いな相手に嫌悪感を抱く理由がわかり、以前よりも楽になったので、書くかどうしようか非常に迷ったのだが、他にも楽になる人がいるかもしれないと思いブログにしてみることにした。
今回の内容はもしかしたら嫌悪感を抱かれる方も、受け入れられない方も、自分には合わないと思う方もいるかもしれないので、あくまで一つの考え方として捉えていただけるといいと思います。
「投影」とは「鏡」ということである。
人間の持つ防衛機制の一つで、人は自分の中にある受け入れたくない感情や、抑えつけてる欲求、認めたくない自分の中の嫌悪感を他人に映し出し、それらの嫌な面を他人のものだと思いこむことで自らを守ろうとする働きのことである。
つまり「他人は自らの心を映す鏡」なのだ。
AさんにとってBさんはイライラする存在で、CさんにとってBさんは癒される存在で、DさんにとってBさんは頼りになる存在…というように、人によって他人の見え方や評価が違うのは投影によるものと言える。
私の場合で例をあげると、私はせっかちな人が嫌いだ。
せかせか動き回られたり、早く早くと急かされたり追い立てられるのが一番嫌いなのだ。
しかしそれは自分が本来せっかちだからだ。
認めたくない自分の嫌いな性質だ。
私はゆっくりしたものが好きだし、ゆっくりしていたい。
しかしそれは「せっかち」という自分の中の嫌悪からくる裏返しの自分の理想の姿で、本当の私はせっかちな人間なのだ。
かつて、せっかちゆえにミスが多くなったり、いろんなものを確認せずスピード重視で行ってしまったり、人に嫌な思いをさせてきた。
そういった経験から急がないように気を付け、本来の自分のスピードを押さえてじっくり取り組むようにしている。
故に、せっかちな人を見ると、自分の嫌いな面が映し出されていやおうなしに嫌悪してしまうのだ。
スーパーのレジで「早くしてください」と店員を急かす客を見ると私はイラッとする。
しかし人によってはただ「ああ、あの人は急いでいるんだろうな」と思う人もいるだろうし、逆に店員に対して「本当にとろい店員ね、あのお客さんの気持ちが分かるわ」と思う人もいるだろう。
もしくは何にも思わない人もいるだろう。
しかし私は自分の中の嫌いな性質である「せっかち」をお客さんに投影しているので、そのお客さんに対して「せっかちでゆとりのない人だなぁ…」とイライラするのである。
しかしこのイライラとお客さんに向けた言葉は、すべて本当は自分の中の劣等感やコンプレックスを他人に映し出しているだけなのである。
他人が嫌な分には自分への嫌悪感は薄まるからだ。
他人を指摘する分には自分は正義でいられるからだ。
よって、投影は誰もが持つ人間の自己防衛本能なのだ。
これに気がついて他人に嫌悪しているのと、気が付かないで嫌悪しているのとでは雲泥の差がある。
なぜならば「なんかムカつく」とか「なんか馬が合わないんだよね」というような理不尽な感情に理由があるからだ。
だからと言って嫌いな人や苦手な人に嫌悪感を持つ気持ちは変わるわけではない。
しかし意味不明にモヤモヤしているよりずっといい。
ここで大切なのは、気づいたからといって改善しようとか、良くしようと頑張らなくていいということ。
「ああ、私はこういうことに嫌悪するんだな」「この嫌だと感じている面が私の中にあるのだな」と気づくだけで十分なのだ。
「ただ気づく」これが大事なのだ。
嫌悪感に気づいたら、今度はそこに自分の中の何を見ているか考えてみる。
「ああ、私は本当は自分がのんびりしたいから、のんびりご飯を食べている主人にイラつくんだな」とか。
「ああ、俺は本当は自分が自由に好きなことをやりたいんだな。だから自分勝手な奴らを見てムカつくんだ」とか。
そういう気づきを重ねていくと、自分が何を欲しているか、何を求めているか、自分の本当の気持ちを知ることができる。
そして自分の気持ちや心に耳を傾けて解消してあげることで、絡み合ったストレスの糸をほぐしていける。
決して自分を責めたり自己嫌悪にならなくていい。
ただ他人という鏡に自分を映して己を知ればいい。
知って、気づけるようになれば、理解できるようになる。
理解できるようになれば、問題に対するストレスは和らいでくる。
数学と同じで、方程式を知っていれば苦手な問題でも対処できるようになる。
ここで勘違いしないでいただきたいのがもちろんすべてが投影ではない。
例えば殺人者や事件の加害者、常識から逸脱した行為を嫌悪したりするのは、身体的・精神的恐怖やパーソナルスペースの侵害からくる防衛本能であるため、ここに投影は当てはまらない。
最後に、投影は何もネガティブ面だけに作用するわけではない。
自分が他人に思う「素敵な人」「魅力的な人」「あの人のこんなところが好き」という面は、同時に自分が持っている一面だということ。
「私の周りは素敵な人がいっぱい!」「本当にいい人ばかり!」と思う言葉は、そのままあなた自身のことなのです。
「他人に見える姿は自分の心を映す鏡」なのです。