仮想現実と算数のトラウマの話
ブログ生活45日目
「この世界は仮想現実である」という仮説があることを先日知った。
つまり「この世は誰かがやっているゲームの世界」「コンピューターによって作られた世界」ということが、一部の物理学者たちによって理論的に証明されているという。
少し詳しく書くと、スウェーデンの哲学者ニック・ボストロムは仮想現実こう説いている。
- 知的文明(人類)が仮想現実を作り出すことは技術的に不可能
- 人類は仮想現実を作れるが興味がない
- 人類が住んでいる世界は仮想現実である
彼は、③のすでにわれわれの住んでいる世界は仮想現実であるとする説が最も濃厚と位置付けている。
また、アメリカのエンジニアであるイーロン・マスクも、「私達の世界が仮想現実では無いという可能性は100万分の1に過ぎない」とし、つまりは、ほぼ100%仮想現実だと言っている。
その説の真偽はどうあれ、私はこういった話が大好きだ。
事実、昨日も寝る前にこんな言葉を目にしてしまったものだから、面白くて結局一睡もしないでネットで調べていた。
宇宙の話や、時間や空間、光や大気、ブラックホールのこと、なぜ宇宙は生まれたのか……といった話が大好きなのだ。
こういう話を夜中だろうと何だろうと永遠と話し合える人がいたらいいのに!といつも思ってしまう。
「仮想現実」や「宇宙」のことをもっと知りたい!
しかしそれらを理論的に知るには、物理や量子力学といった学問の名前が出てくる。
まぁ…無謀、井の中の蛙、お門違いは百も承知だが、勉強してみたいという気になっている。
しかしここで問題が一つ。
量子力学にせよ、宇宙工学にせよ……必ず数学が絡んでくる。
…………数学
……私がこの世で一番嫌いな教科だ。
しかしなぜ数学が嫌いか、理由はハッキリ分かっている。
ある出来事がトラウマになって受け付けなくなってしまったからなのだ。
忘れもしない小学校2年生のとき・・・
担任の先生は九九を覚えさせるのに、クラス全員を教室の後ろに一列に立たせていた。
そして生徒1人を指差して「4×8は?」と聞く。
正解なら席に戻ってよし。
間違ったら席に戻れない。(答えられるまで立たされる)
名指しされる緊張、みんなの前で間違えて恥をかきたくない不安や恐怖のプレッシャーでいつも心臓がドキドキしていた。
家でなら言える九九も、学校では答えがのどに詰まってしまい、私はいつも席に戻れずに恥ずかしい思いをしていた。
それがきっかけで私の中では「算数=緊張・焦り・不安・羞恥」という構図が形成されてしまい、以後算数や数学は条件反射的に嫌悪して受け付けなくなってしまったのだ。
さらに言うと算数や数学の授業は、急にあてられてその場で問題を解いたり答えなければならないから嫌なのだ。
ほかの国語や社会といった授業は、教科書を読んだり、黒板の内容を書き取ったりといった講義形式なので好きなのだが、算数や数学は違う。
ガンガン当てられ、解答して、とスピーディに授業が進む。
「当てられませんように!!」と毎時間神様に祈るのが常となり、学生生活の12年間でどんだけ神様にお願いしたか知れやしないほどだった。
そんな数学嫌いの私が、高3年の選択授業で、高校数学の中でも難しいといわれている「数学B」を選択した。
今となってはなぜ数Bを選択したのか覚えていない。
それ相当の理由があったのか、それしか選択するものがなかったのか、もう一つの選択肢が、数学並みに嫌いな物理だったような記憶もあり、究極の選択を迫られて私は数Bをとったような気がする。
しかし、人生最後となる数学でなんと奇跡が起きたのだ。
先に恥を承知で暴露すると、私は算数・数学で60点以上をとった記憶がない。
テストは赤点か、赤点ギリギリの点数しかとったことがなかった。
しかし、数Bでは私は毎回80点以上の成績をとっていた。
しまいにはこの数Bの授業が大好きになっていて、今度は神様に「早く数Bの授業の日が来ますように」と正反対のお願いをする始末だった。
何が起こったかというと、ずばり「先生」が素晴らしかったからである。
M田先生の数学の授業はこれまでのどの先生とも違っていた。
まず授業が始まると、今日勉強する計算の公式を黒板で説明してくれる。
まるで1+1をやるように実に簡単に教えてくれる。
「ふむふむ、なんだぁ、簡単じゃん」と思える。私でも。
先生も、「ねっ!簡単でしょ」と言いながら別パターンでもやって見せる。
先生は名指しして問題をやらせるというやり方は一切しなかった。
毎回計算の書かれたプリントを作ってきてくれ、そのプリントの計算をやってみる。
自分のペースで問題を解けるし、変な緊張やプレッシャーがないから落ち着いて問題に取り組める。
さっき先生が教えてくれた簡単なやり方で解けばいいので、いとも簡単に1枚のプリントができてしまう。
このM田先生の数Bのクラス全員がいつも80点以上だった。
プリントの問題が終わると先生のとこにもっていき、その場で採点してくれる。
正解個所は大いに褒めてくれ、間違った個所はでもう一度教えてくれる。
「あ!ここが間違ってた!答えは○○だ!」
と気が付いて訂正すると先生はものすごく喜んでほめてくれる。
「小学校の時からこの先生だったら、私算数も数学も大好きだっただろうな」
と心から思ったものだった。
素晴らしい先生だった。
先生自身も、数学も、教えるのも大好きなんだろう。
いつも嬉しそうでいつも楽しそうだった。
もちろん本人の努力も大切なことだろうが、先生の力量も非常に大きいと私は思う。
学生生活の最後に、素晴らしい数学の先生に出会えたことは本当にありがたかった。
「数学死ぬほど嫌い」から「数学楽しいかも!」という思考に変えてくれた先生に私は今でも心から感謝している。
苦手意識を取り戻すためにも、宇宙のことや仮想現実のことを知りたい為にも、勉強のし直しをやってみようかと考えている。
人間何をやるのも遅すぎるということはない…ということを信じて、ちゃんと歩んでこなかった時間をもう一度歩みなおしてみよう。