ショックを受けたディズニーの写真
ブログ生活64日目
今日のブログは、ディズニーランドのお土産屋さんで撮られた投稿写真を見て思ったこと、考えさせられたことです。
少し前段からお話すると、以前ブログで私がディズニーランドのキャストをやっていた頃の話を書いたのでご承知の方もいらっしゃるかもしれないが、私はディズニーランドが大好きだ。
今は関西に住んでいるのでめったに行けなくなってしまったが、東京に住んでいたころは年に1~4回くらい行っていた。
あの世界感、雰囲気が好きで、音楽や建造物、ウィンドウのディスプレイやお土産を見たり、美味しい食べ物を食べたり、散歩したりするのが好きなのだ。
そのためTwitterでもディズニー情報を時々見たりするのだが、昨日、現在行っている「イースター」のイベントの”うさぴよ”というぬいぐるみが飛ぶように売れて、販売初日で完売したという記事を目にした。
「そんなに人気なんだ~」と何気なく見ていたらある写真が目にとまった。
それはお土産屋さんでの出来事を写したものなのだが、キャストが大きな透明な袋に大量に入っているうさぴよ(いわゆる倉庫やバックヤードでしまわれている状態のまんま)を、床に引きずった形でゲストに渡している写真だった。
たぶん、人気過ぎて店頭の棚に並べても並べているそばからなくなるので、並べないで袋から直接渡しているのかもしれない。
しかし、いかんせん透明の袋なので、ぬいぐるみが乱雑に放り込まれていてるのが見えるし、大きな袋なので持ち上げられずに床に引きずられて見た目があまりよろしくなかった。
さらに別の方の投稿には、数量限定で並べられたうさぴよのぬいぐるみがものの数秒でなくなってしまって、「1人で20個近く取っている方もいた」と、体制側が数量制限をしていないことに触れた記事もあった。
なんだか悲しかった。
時代が変わって、人の数も増えて、販促のために限定商品を多数売るようになったとか、色々な背景があるのかもしれないが、私はディズニーの持つ世界感が失われているような気がした。
「売れればいいのか・・・?」
そんな疑問が真っ先に浮かんだ。
世界感やイメージを大切にしているディズニー。
商品の見せ方もディスプレイの一つ一つにも専門職や職人の手がかけられるほどこだわりぬいた世界観のもと成り立っている場所である。
私がキャストをやっている時は「ここから一歩踏み出せば、そこは舞台。あなたたちはショーの出演者(キャスト)。あなたたちはこの舞台でゲストに最高のショーを魅せる出演者です」と教えられた。
私はそのコンセプトが好きだったし、そのおかげで働いている時は別の自分を演じている気がした。(もともと演劇が好きだったし)
ここが他の職場とちがう点、という魅力があった。
商品を補充するときも専用のバットに移してからお店に出なければならなかったので、あの透明の袋ごと床に引きずった状態でゲストに手渡ししている情景は私にとっては少しショッキングなものだった。
でも、もしかしたらゲストに一刻も早く、たくさんの人に買っていただけるように”・・・と考えた上でのことかもしれない。
並んで待つ人が少なくなるように・・・と配慮の上なのかもしれない。
私が働いていたころが最良だったとか、今はダメと言いたいわけではない。
昔は不便だったことができるようになったこともあるし、時代やニーズの変化とともにできなくなったこともあるのかもしれない。
1枚の写真だけなので、その裏に隠された事情や考えや理由があったのかは知ることはできない。
「1コマ」「そのシーン」「断片的な情報」だけで一方的に決めつけることは1番やってはいけないと私自身が常日頃思っていることだし、父から強くそう教えられてきた。
しかしその一枚の写真を見た瞬間は私は確かに残念に思ってしまった。
そこだけを切り取る…
これらから得る情報は実に怖い。
まして今は情報が飛び交う時代。
その発信元も、信憑性も、真偽もごちゃ混ぜになって、見た目一発で感じた感情に振り回されていないかと今回改めて気づかされた。
そして「決めつけ」や「思い込み」で言葉を発信しないように気をつけなければと考えさせられた。
でもやっぱりディズニーランドは大好きです。
この前「マツコの知らない世界」で、ディズニーシー特集をやっていたので見たのですが、建造物のこだわりが、地質学や歴史に基づかれて作られているということを始めて知り、本当に驚きました。
リピーターが多いわけだ・・・と。
こんな話も聞いたことがあります。
ディズニーの建造物を作っている時に、ゲストから見えない場所のオブジェを手掛けている人が、どうせ見えないからとおろそかにしてしまったところ、
「物を作るということはそう言うことではない。見えないからと言っておろそかにしたら、その世界は嘘になり、リアリティがなくなってしまう」と叱られたそうです。
見えないとこ、気が付かないとこに徹底的にこだわるからこそ、その世界は現実のものになり、リアリティが生まれる。
はりぼてではないリアリティなものに人は感動するし、それに気が付いた時、知ったときの感動はさらなる好奇心につながる。
好きだからこそ、変化があったときは悲しくなったり、残念に思ったりもしますが、そもそもなぜ好きかを思い起こせば、少しの変化も小さなことに思えたりします。
今日も読んでくれてありがとうございました!
どうぞ良い週末をお過ごしください!