平成の思い出その①
ブログ生活68日目
平成が終わるまであと6日となった。
テレビやネットでも「平成のプレイバック」や「平成の出来事」といった番組が連日放送されている。
「あなたにとって平成は?」と呼びかけるようなワードを耳にしたこともあって、今日から私にとっての平成を4月30日まで少しづつ振り返ってみようと思う。
平成元年となった時、私は4歳だった。
なのであの有名な小渕恵三さんが「平成」の額をかかげるシーンは覚えていない。
母親曰く、一家で帰省していた大阪から長崎に帰る伊丹空港で平成の文字を見たといっていた。
それが私の平成の始まりだった。
それから6年後の平成6年。
10歳の夏休みに父の転勤で長崎から東京に引っ越した。
転校がものすごく嫌だったのを覚えている。
夏休み明けに転校先の学校に行くと、まず、長崎弁を笑われた。
「~しとっとばい」「~しとっとよ」「~ばしとるけん」
といような方言丸出しな私に、東京の子供たちは容赦なくからかってきた。
私は笑われるのが嫌で、それからというもの一生懸命方言が出ないように気を付けた。
今考えると悲しいけれど、中学校に上がるころにはもう長崎弁は消えていていた。
中学入学。平成9年。
携帯はまだない。
ネットもない。
中学の頃はツタヤとカラオケばかり行っていた。
私は自分がその世代というひいき目もあるのかもしれないが、90年代のJPOPは黄金期だと思っている。
次から次へと名曲、ヒット曲ばかり出て、ツタヤでCDを借りる人がめちゃくちゃ多かったし、CDショップなんていつも混んでいた。
今と違って音楽番組も多かった。
「HEY!HEY!HEY!」「Mステ」「歌の大辞典」「夜もヒッパレ」「うたばん」「カウントダウンTV」・・・
ざっと思いだすだけでこのくらいはあった。
学校では歌番組の話や、好きな音楽の話をしている人が多かった。
ちなみに私が初めて買ったCDは広瀬香美の「ロマンスの神様」だった。
今は見かけない8センチCDというやつだ。
そして中学1年生のクリスマスにSonyのカセットウォークマンを買ってもらった。
ツタヤで借りてきたCDを空のカセットテープに録音して、夕方には免許を取りたての姉の車に乗ってツタヤに返しに行くということをよくやっていた。
今のようにすぐ録音できるわけではない。
2倍速録音が基本。
「後1曲入るかなー」とカセットの残りテープを見ながら、待ち時間の長い地味な作業を繰り返していた。
何しろカセットウォークマンは頭出しができない。
聞きたい曲を聞くには、巻き戻しボタン、早送りボタンを駆使しながら曲を見つけなければならない。
今考えると、ものすごく手間のかかることに思えるが、当時は歩きながら音楽を聴けるなんてすごく最新のものを持っている気分だった。
それからCD丸ごと入れられるCDウォークマンが出て、17,18歳くらいの時はMDウォークマンが出た。
それから20歳くらいの時に現在のスティック型ネットワークウォークマンが出た。
カセットも、CDも、MDも持ち歩かなくていい。
パソコンからすぐに曲が転送出来て、何千曲も入るなんて感動ものだった。
・・・なんか転校の話から音楽の話になってしまったが、なんとなく思い返していたらこうなってしまいました。
でもこれも平成の思い出の一つなので、話があらぬ方向に行ったりして少し読みづらい点はあると思いますがお許しください。
今日も読んでいただきありがとうございました!