そういうものに わたしはなりたい
ブログ生活80日目
私が絵を描く上で最も大事なのは「心」だと思っている。
技術とか、色彩感覚もとても大切なことだとは思うが、そういったものは100のうち1~2%くらいじゃないかしら。
98~99%は「心」または「魂」をどれだけこめられるか・・・だと私は思っている。
絵に限ったことじゃない。
音楽でも、演技でも、心や魂が込められているかは見ていて自然と分かるものだと思う。
なぜならば心から歌っている人、魂がこもった歌や演技には自然と涙が流れてしまうからだ。
そういった絵や、歌や、演技を見た時は、体の中からブルブルっと打ち震え、鳥肌がザーッとたち、涙が流れる。
これまでに3度、そんな思いをした絵に出会った。
シャガールの「翼のある馬」、藤城清治さんの「銀鈴の砂」、そして那須野ステンドグラスミュージアムで見た宗教画のステンドグラスを見た時。
シャガールには色彩の魂が、藤城清治さんには絵から音楽の響きが、ステンドグラスの宗教画からは自愛の心を感じた。
この世の中には人の手が作り上げた素晴らしもので満ち溢れている。
人間ってすごいなと思う。
人間だけに与えられた創造する力。想像する力。
いつかはなくなって、消えて、誰が作ったのかもわからなくなって、もっと後にはそれ自体跡形もなくなくなってしまうけど、それでも、そうだとしても、それを知っていても人間は創ることを続けていくのだろうな。
逃れたい気持ちと、作りたい気持ち。
虚無感を感じながらも、意欲と希望にも満ち溢れている。
そうした絶妙なバランスがあるからいいんだろう。
陰にも陽にも捉えられる感覚に出会った時、体の中からブルブルっと震えるあの感覚を体験するのだろう。
「いろんなものをよく見、よく聞き、よく分かり、そして忘れず・・・」
とい宮沢賢治の「雨ニモマケズ」の一説にあるように、いろいろな心を心に留め、感じ、泣き、笑いながら心を磨いていきたい。
「そういうものに わたしはなりたい」