三日月レモンのちょこっとエッセイ

絵や絵本を描いて暮らしています。日々の思い、感じたこと、体験したこと、過去のこと、そんな何気ないことを書き綴っていきます。

小学生の夏休みの思い出

ブログ生活87日目

 

私が小学生だったころ、私の住んでいた長崎県では町内とか、子供会がとても盛んで、夏休みになると毎朝のラジオ体操、そして夕方からは町内のフットベースチームの練習に参加しなくてはならなかった。

さらに月に数回、日曜日に町内の公園の掃除を朝早くから行うのが決まりだった。

(この公園の掃除は大人になって知ったのだが、市からお金がもらえるアルバイトのようなもので、町内の行事や子供会の費用に充てるためにやっていたことを最近知った。)

 

夏休みに入った途端、普段よりも早起きをし、普段はやらないラジオ体操や公園の掃除は子供心に憂鬱だったのを今でも良く覚えている。

なぜならば私は子供のころから(今も)低血圧で朝が弱く、とにかくエンジンがかかるのが遅いため、朝一で体操をさせられるのがとにかく辛かったのだ。

その為、着替える気力もなかったのか、私はパジャマのままラジオ体操に行ってていた。

大人たちからは何も言われなかったが、同じ年の友達に「それパジャマじゃない?」と問われて、私はボーっとしながら「違うよ」と見栄をはったのを覚えている。

どう見たってパジャマなのに・・・

「こんなにしんどいのに、朝早く起きて体操だなんて体に悪いよ…トホホ…」

と内心いつも思っていた。

 

やっとエンジンがかかってきた午後には、町内のフットベースチームの練習がある。

1~3年生は応援係で試合には出ないのに、練習ではみっちりとランニングをさせられるのでたまったもんじゃなかった。

けどいざ試合になると、ボンボンを持って応援するのは楽しかった。

私は子供のころ女子とは思えないほどお調子者でちょけてばかりいる子供だったので、1コ下の同じようなお調子者の女子と大きな声でオリジナルの応援をして二人でケラケラ笑いあっていた。

しかし・・・私は4年生になっても、5年生になってもいつまでも応援組のままだった。

応援の相方は運動神経抜群だったので、早々に選手でビューを果たしたが、私は5年生になっても小さな1,2年生の子たちと応援する羽目になっていて、もう笑ってもいられず、居心地の悪い思いでボンボンを振り続けていたのを覚えている。

そして結局試合に出ることもないまま、私は5年生の夏休み中に親の転勤で東京に引っ越した。

 

東京では町内会や、子供会もなく、ラジオ体操も、フットベースチームもなかった。

夏休みの宿題で一番張り切っていた自由工作も東京の小学校にはなく、ないないずくめの寂しい夏休みだったのを覚えている。

ラジオ体操も、フットベースも、公園の掃除もあんなに嫌だったのに、それらが全部ないとかえって寂しかった。

その年の夏は兄と二人で近くに見つけた市営のプールに行き、返却されたロッカー代の100円でアイスを食べて帰ってくるだけの夏休みになった。

兄も、長崎では町内のソフトボールチームに、学校の陸上部の部活に、みんなのリーダー的存在で活躍していたから、この東京の夏休みはさぞつまらなかったろうと思う。

 

ぶつくさ文句をいいながらも、みんなで何かをし、夢中で駆け回ることがいかに幸せだったか。

毎日充実して、真っ黒に日焼けして、毎日馬鹿みたいに笑って・・・

町内中の人が家族のようで、みんなが兄弟のようで、みんながお母さんとお父さんだった。

私は生まれてから11歳までを過ごした長崎のことを今でも一番覚えているし、楽しかった、大好きだった思い出となっている。

自然も、人も、すべてが豊かだった。

毎年夏がやってくると思いだす、私の子供の頃の夏休みの話です。

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