長崎8月9日の登校日の思い出。
ブログ生活94日目
今日から8月ですね!
私は生まれてから小学校5年生の1学期までを長崎県の市内で育ったのですが、8月に入ると思い出すのが8月9日の登校日です。
爆心地に近いところに住んでいたからということもありますし、そもそも長崎県人はみんな同じだと思いますが、私は子供の頃からずっと原爆のことを見聞きして育ちました。
母は関西の人なので、父と結婚して長崎に来た時に驚いたのが「常に原爆のことをテレビでやっている」ことだったそうです。
小学校ではいつも扉が開いてある視聴覚室に、原爆の写真や、被害にあわれたかたのパネルが資料館のように展示してありましたし、社会科見学で原爆資料館に行ったり、語り部をなさってるおじいさん、おばあさんが学校に来てくれてその話を聞くこともよくありました。
そして冒頭にも言ったように長崎では8月9日が夏の登校日となっており、「夾竹桃の歌(きょうちくとう)」と「青い空は」を歌うのが私の小学校の習わしでした。
「夾竹桃の歌」
【作詞】 藤本 洋
【作曲】 大西 進
1.夏に咲く花 夾竹桃
戦争終えた その日から
母と子供の おもいをこめて
広島の 野にもえている
空に太陽が 輝くかぎり
告げよう世界に 原爆反対を
2.夏に咲く花 夾竹桃
武器をすてた あの日から
若者たちの 願いにみちて
長崎の丘に もえている
空に太陽が 輝くかぎり
告げよう世界に 原爆反対を
「青い空は」
【作詞】小森 香子
【作曲】大西 進
1.青い空は青いままで
子どもらに伝えたい
燃える八月の朝
影まで燃え尽きた
父の母の 兄弟たちの
命の重みを 肩に背負って 胸に抱いて
どちらも3番まで歌詞があり、確か3番まで歌っていたように記憶しています。
どの学年になっても1学期の終わりころから歌の練習が始まり、平和記念公園で行われる式典に捧げる千羽鶴を折り始めます。
1年生のころは6年生のお姉さんお兄さんがホームルームに鶴のおり方を教えに来てくれました。
学年が上がるごとに折らなければならない枚数が増えていき、1年生は1人2枚、高学年は10枚、20枚折るのが普通でした。
私が1年生のころ、兄は3年、姉は6年だったため、私が家でのんきにむしゃむしゃお菓子を食べている横で、兄と姉はせっせと鶴を折っていたのを覚えています。
そして8月9日校庭で黙とうをし、歌を歌い、話を聞いて家に帰ってきていました。
繰り返しになりますが本当に常に原爆を身近に感じながら育ったので、5年生の2学期に東京に転校して一番の驚きは、原爆のことを知らない子ばかり、テレビでもやっていない、身近にないということでした。
地域性の違いというか、住むところが違うとこんなにも習慣とされることが変わるのだなということを体感した瞬間でもありました。
大人になって過ごす10年と、子供の時の10年とはまるで違います。
私は長崎での10年を今も忘れることなく色濃く記憶していますし、「夾竹桃の歌」も「青い空は」は今でもはっきりと歌えます。
8月がくると自然と思いだす長崎の夏の思い出、長崎の子供たちの夏休みのお話でした。