10年越しの卒業アルバム
ブログ生活95日目
これまでブログで何回か書いてきたが、私は小学5年生の2学期に長崎から東京に引っ越した。
今から25年前、1994年の8月3日に東京に着き、家族中汗を流しながら引っ越しの荷物を片づけていた。
1994年は東京でも記録的な猛暑の年で、それはそれは暑い夏だった。
片づけの合間に近所を散策がてらスーパーで「ガリガリ君」や「シャビィ」といった氷系のアイスをよく買いに行ったのを今でも覚えている。
両親はさらに子供3人の学校の編入手続きやらであちこち忙しそうに歩き回っていた。
そして夏休み明けの始業式当日、私は新しい学校の体育館の壇上で、他の転校生とともに全校生徒の前に立たされ挨拶をするはめになった。
始業式が終わり、続きてはクラスでも私はまたみんなの前に立たされて、黒板に名前を書かれ「長崎県の○○小学校から来ました・・・」とよくドラマなんかであるシーンのように挨拶をした。
この時ほど不安だったことはない。
全く知らない土地、誰一人知らない人々、知らない学校、その中に1人ポツンと落とされる恐ろしさ。
これがまだ1年生ならいいだろう。
けど目の前にいる子たちは、5年間この学校で過ごし、5年間友達と過ごしてきているのだ。
しかし私は女で、しかも子供だったことが良かったのか、その日のうちに友達ができ、その日のうちに「一緒にプールに行こう!」と誘ってもらえ、それがどんなに、どんなに安堵したことか・・・。
結局私は東京の小学校には2年間もいなかったので、転校生の宿命なのだろう、小学校の卒業アルバムには私はほとんど写っていなかった。
ああ、長崎の小学校の卒業アルバム欲しかったな・・・せめて見たかったな・・・
という思いをそれからも心のどこかでずっと抱いていたた。
それから時は流れて20歳になった頃、世界中でフェイスブックが流行ったのをきっかけに、私もアカウントをつくり情報を入力していると、コミュニティに「1996年長崎県○○小学校卒業生」というのが出てきた。
もしかしたら知っている子がいるかも・・・!という気持ちで参加すると、「○○ちゃんだよね!!」と知っている子達からメッセージをいただけたのだ。
「おお・・・フェイスブックって素晴らしい・・・」とめちゃくちゃ感動したものだった。
それからいろんな話や、これまでのことや、近況を話しているうちに、話は卒業アルバムの話題になった。
私がふと「卒業アルバム見たかったよ」と何気なく言ったら、3,4年でクラスが一緒だった子が「パソコンで送ってあげるよ」と言ってくれたのだ。
「え?!ええ?!!本当に?!」
見ることなんて絶対にないと思っていた長崎の小学校の卒業アルバム。
それが時を経て、パソコンという素晴らしい時代の進化に伴って、遠くにいながら見ることができる。
そして何日か後に、本当に彼はPDFファイルにしてくれたアルバムを私のパソコンに送ってくれたのだ。
1枚1枚きれいにスキャンされていて、時間も手間もかかったろうに・・・
彼には感謝してもしきれないくらいだった。
転校して10年後、私はようやく大好きだった長崎の小学校のアルバムを見ることができた。
1年生のころから一緒だったみんなの顔。
6年生になって少し背が伸びた子、大人っぽくなった子、変わらない子。
懐かしい顔、懐かしい学校の風景、懐かしい先生方。
1年生からの学校行事の写真には私が写っているものも何枚かあった。
それがまた嬉しかった。
長崎の小学校にも最後までおれず、東京の小学校にはなじめず、どちらにも属せずに浮いた存在に感じていた自分が、「ちゃんとここにいた」というのを見ることができて、はじめて何かの1員だった・・・という安心感にも似た感情が湧いた。
思いを言ってみて良かった。
みんなの協力と時間と手間のおかげで叶えていただけた嬉しい出来事のお話でした。