自分の絵を探す旅 ①子供時代編
ブログ生活107日目
「何かが違う・・・」
私は1,2年前からだろうか、絵に対してこんな違和感を感じていた。
私は本当に描きたいものを描いているんだろうか?
これが私の心から飛び出ている絵なのだろうか?
そんなもやもやした思いをずっと抱えていた。
そして波のように繰り返す「描ける時期」と「描けない時期」の苦悩と疑問。
「なぜ描けなくなるんだろう?」の疑問は、自分の絵に対して「何かが違う…」と感じていた違和感と密接に関係しているような気がしてならなかった。
そんなことを悶々と考えていると、なぜだか昔の自分のことをやたら思い出す。
そこになにか自分を見つけるヒントがあるのかもしれないと思い、私は一つづつ過去の自分のことを振り返ってみることにした。
これからシリーズで書こうと思っているブログは、絵と向き合う為に振り返った過去の自分についてのお話です。
私は3人兄弟の末っ子として生まれ、親戚中の中でも1番年下で、近所の幼馴染の友達の中でも1番年下だった。
兄弟を含め1歳上から6歳上くらいまでの年上の中で育つと、必然的に「どうしたら怒られるか、どう言ったら褒められるか、どう振る舞ったら大人が喜ぶか」が身に付くようになってしまう。
私は小さい頃からとにかく怖がりで、大人が怒っているのとか、しーんとした空気になるのとか、言い争っているとか、仲間外れにされるとか、自分じゃなくても仲間外れにされている人がいるということにひどく怯えていた。
そこで私が身につけた術のようなものが「おどけること・ひょうきんでいること・笑ってもらこと」だった。
いつもふざけたことをやった。
みんなを笑わせてばかりいた。
変な歌を勝手に作って歌ったり、踊ったり、ピ~ヒャラピ~ヒャラというような音がピッタリのような子どもだった。
なので昔のアルバムを見ると、私がまともにかわいく写っている写真は1枚もない。
いつも変な顔をして写っている写真ばかりなのだ。
しかし心の中は違った。
人の怒るのが怖い、嫌われるのが怖い。バランスが崩れるのが怖い。
だからそうならないように私は必死におどけた。
その頃の私は、誰にでも「天真爛漫で、元気で、明るくて、面白い子」と言われた。
親には「何も考えていない子、何も気にしてない子」と言われていた。
でも実際は何も分からないふりをしていた。
それは今でも良く覚えている。
何人もの年上の兄弟・いとこ・友達に囲まれて、見てきて、それが一番いい方法と悟ったからである。
それから小学校を卒業し、中学1年生の1学期、友達もできてクラスの雰囲気も落ち着き始めた頃のことに話は進む。
ある日の道徳の授業で「友達のいいところと悪いところを書こう」というのがあった。
配られた紙に友達の名前を書く欄と、いいところ・わるいところを書く欄がある。
大人になってもなんでこんなことをやったのかが分からないが、私はその日を境に変わっていったのは今でも良く覚えている。
私には仲良しグループの5人の友達がいた。
その5人全員が私の良いところを「明るい」「面白い」「楽しい」と書いてくれた。
しかし私の悪いところを5人全員が「ズバズバ言う」「たまにちょっときついこと言う」「ちょっと傷ついたときがあった」と書いていた。
でもその5人の子たちは優しいものだから、みんなその後に「ズバズバ言うけど・・・面白いよ!」とか付け足してくれていたのである。(それが余計に辛かった)
これは大人になった今でも忘れられないほどだから、13歳の私にはとても衝撃的だった。
「私って、そんなにズバズバ言ってるの・・・?!」
仲間外れが怖くて、怒られたりするのが怖くて、期待をしてもらえなくなるのが怖くておどけていたのに、そのおどけが度を過ぎて毒舌になっていたなんて気が付きもしなかった。
ましてやそれで誰かを傷つけてていたなんて・・・!!!
もともと白か黒といった極端な思考をしてしまう癖があった私は、その日を境に言葉に敏感になっていった。
「これを言ったら傷つくかな?」
「こんな言い方したらよくないかな」
そんな言葉の選択で頭の中はいつもいっぱいになっていて、だんだん人の顔色を伺う癖がついてきて、それは次第に自分からものを言うことを控えるようになっていき、いつしか空想の世界に浸ったり、どこか別の世界のことを考えたりすることが多くなっていった。
そして多感な中学生も卒業を迎え、受け取った卒業アルバムに友達や先生にメッセージを書き合い、家に帰って書いてもらったメッセージを読んだとき私はさらなる衝撃を受けたのだ。
・・・少し長くなりそうなので続きはまた次回にします!
ここまで読んでいただきありがとうございました!