自分の絵を探す旅②中学~高校編
ブログ生活108日目
※本日のブログは前回の「自分の絵を探す旅 ①子供時代編」の続きになっております。
前回のブログでは、中学の卒業アルバムの寄せ書きに同級生や先生から書いてもらったメッセージに衝撃を受けたというところまでをお話した。
本日はその続きからである。
メッセージはだいたいこんな内容のものが多かった。
「君はすぐ空想の世界に行ってついていけないところもあったけど・・・」
「かなり変わった人でした!」
「レモンちゃんは変わってて面白くて・・・」
大半の人に変わってる、変わってると書かれて複雑な気持ちになったのを覚えている。
もちろんみんな笑いながら「あんたって変わってるね~笑」というような雰囲気で言ってくれているのは分かっている。
でも「変わってる」という言葉だけが妙に頭にこびりついて離れなかった。
「私って変わってるのかなぁ…」
それは15歳の私には決して嬉しい気持ちではなかった。
なんだか列や輪からはみ出しているような、言いようのない疎外感や焦りみたなものを感じた。
この感覚は日本人特有とでも言うのだろうか?
人と違うことをしたら村八分にあってしまうという感覚がDNA刻み込まれているのだろうか?
私はそれから毎日のように普通になりたい、普通と思われたいとばかり考えていた。
変って思われたくない。変わってるって思われたくない。
それはやはり子供の時からある「恐怖の心」からくる思いだった。
お笑い路線はもうダメだ。浮いてしまう。変な人になってしまう。
高校時代からの私は「普通」ばかりを意識して過ごした。
普通に友達を作り、普通に部活をし、普通に学校の帰りにみんなでミニストップのハロハロを食べたり、マックに行ったり普通の高校生をものすごく意識した。
でも持って生まれた感覚や性格は完全には隠せないものである。
仲良くなった友達の前ではやっぱり自分がでてきてしまうのだ。
友達も私を知るうちに「もっとおとなしい子かと思った!」と大抵の子に言われた。
でもそんな自分を出しても離れていくような友達はいなかったということが私に自信を与えてくれた。
「自分を出していいんだ!思ったこと言ったり、やったりしていいんだ!」
だんだんとそんな風に思えるようになってきたのは高校3年生の時。
その頃あたりから私は自分の好きなことを爆発させはじめた。
忘れもしない出来事は高校生活最後の文化祭。
私はクラスの出し物のお化け屋敷の内装や仕掛けを考えたり、有志で参加した法被のデザインを担当したりした。(※この有志というのは、化学の先生が「文化祭で連凧を上げたい」と言った一言で集まった「タコ組」という集まりだった)
更には自分自身が部長となってやりたかった演劇部を立ち上げ、文化祭でやるお芝居の練習に夏休み中明け暮れた。
学校以外でも、アカペラサークルに参加して活動したり、友達とバレーにハマった時は、友達のお姉さんが所属するママさんバレーチームに参加させてもらったりもしていた。
「やってみたい!」に対する行動の速さと勇気は今思い出しても「すごいなぁ、よくやったなぁ、若さだぁ」なんて感心してしまうほどである。
その頃の私は好きなことには夢中でやりたいことはなんでもやった。
中学生の時に、悪気も悪意もない友達の言葉で勝手に自分自身の行動を制限し、勝手に自分を押さえて、勝手に不自由にしていた自分のタガが外れたような気分だった。
それは自分の気持ちを言っても、自分の素を見せても仲良くしてくれた友達の存在にようやく気が付けたからでもあった。
しかし、この高揚感は長くは続かなかった。
私はこの後、人間が怖いと決定づけてしまう原因になったある出来事が起きてしまうのだ。
この出来事は今も私の大きな足かせの一つになっている。
それはまた次回のブログで書くことにします。
先に少しお伝えできることは「出る杭は打たれる」ということ。
今日も読んでくださりありがとうございました!