自分の絵を探す旅⑥砂の仮面
ブログ生活112日目
※今回のブログは前回の「自分の絵を探す旅⑤専門学校編」の続きとなっています。
専門学校でできた友達は、心に入り、心に寄り添い、心から心配し、気にかけてくれる人ばかりだった。
元気がなければ「どうしたの?」と声をかけてくれ、少しでも気まずい顔をすると「大丈夫?」と敏感に察知してくれる人ばかりだった。
私はそれまでの人生で、周りの人と心配とか気がかりということを口に出して伝えるというコミュニケーションをとってきたことがなかった。
別に虐げられていたとか、周りの人が冷たかったというわけではない。
日本人特有の関係性と言うべきか…
もちろん心配してないわけではないのだ。
しかしその表現の仕方が、様子を見るとか、態度を見るとか、機嫌悪そうだから話しかけないとか、どっちかというと”察する”、もしくは”そっとしておく”というような関係性だった。
外国映画のように「OH~!どうしたの?!心配だわ!愛してるわ!何でも言って!」みたいなのにはならない。
それがこの専門学校の人達は感受性が人一倍強いからか、まるで外国映画のように心配の声をかけてくれるので私は環境の変化に大いに戸惑い・・・そしてうろたえた。
どう答えていいかがわからなかった。
どう接していいかわからなかった。
いい意味では嬉しかった。
「分かってくれる人がいる」「気が付いてくれる人がいる」と自分も輪の中に入れたような安心感があった。
少し大げさな言い方になるが、「居場所がある」というような心からの安心感だ。
しかし悪い意味で言えば隠れ場所がなかった。
これまでは仮面という自分を覆ってくれるものがあった為、気が付かれない・知られないことで、自分をきれいに見せられているという別の意味での安心感があった。
例えるなら、きれいな庭があることで「あの方の庭はいつもきれいでいいわね」という周りからの羨望のまなざしだけでプライドを保っているような感覚である。
本当は家の中はぐちゃぐちゃだし生活も苦しいけど、庭は綺麗なので誰にも悟られていないから大丈夫…そんな安心感だ。
しかし専門学校の友達は、家の中も、生活もすべてお見通しだから裸同然の私を見られてしまう。
そういう意味で隠れ場所がないのだ。
そんな自分は見てほしくなかった。
「いい人」の面をかぶっていたのは、必要に迫られていたからという理由がある一方で、自分を守るための物でもあった…ということに私は初めて気が付いた。
面を付けている以上、きれいな部分だけ見せられる。
そうすることでただ単に自分の中に存在する卑しい心、不純な気持ち、汚い感情から逃れ、蓋をし、見ないようにしてきた。
しかし何もかもを見透かす友達の前では、もろい砂の仮面はあっさりと崩れ去り、私はあらわになった自分の影と否応なしに向き合わなくてはならなくなった。
私は小中高と、風邪以外では遅刻も欠席もしたことがなかったのだが、ここにきて遅刻や無断欠席をするようになっていた。
隠れる場所が欲しかった、考える時間が欲しかった、1人で自分と向き合いたかった。
学校に向かう途中の新宿で降り、HMVで1日中音楽を聞いたり、DVDを見たり、街をウロウロして特に何もしない日を過ごした。
それもそれで罪悪感や背徳感があったが、その時の私にはそうするしかなかった。
18年間地元だけで生きてきて、そして一気に広がった行動範囲と付き合う人の多様さ、180度違う世界と環境。
すべてをすんなり受け入れて進めるほど達観もしていなければ成熟もしていない。
そんな未熟な精神は、友達と微妙な距離をとることで何とか保っていたのだが、そんな時にY子から言われたセリフが、前回のブログにも書いた「レモンは私のことなんでも聞いてくれるけど、レモンは自分のこと何にも話してくれないね」という言葉だった。
Y子とはクラスの仲良しグループの中の一人なのだが、グループにいる時は別に二人でよく話すってわけではなかった。
Y子はKちゃんとよく話していたし、他のクラスメイトの認識の中にも『Y子とKちゃんが仲良し』という構図が出来上がっていたと思う。
Y子はどちらかというとファンキーなタイプ(たぶん元ヤン)で、抜群にセンスが良くてクラスの誰よりもオシャレな子だった。
絵と音楽が大好きで、変わった銘柄の外国の煙草を吸う姿がやけに様になる魅力的な子だった。
(18歳だろ!ってお叱りがあるかもしれませんが、当時は先生も生徒と一緒に喫煙所で雑談してて、誰も何も言ってなかったのです)
一方のKちゃんは咲いたばかりの花のようにきれいな子で、本当に18歳?!と思うほど人間が出来上がっている器の大きな子だった。
いつでも自分より相手を気遣い、周りに目を配り、決して自分の我は通さず、いつも安定していて、誰に対しても態度が変わることがなく、「Kちゃんは神様みたいだね」と誰もが言うほど非の打ち所がない子だった。
Y子とはタイプがまるで違うのに、2人が一緒にいると妙にお似合いで(両方女の子だけど)、絵になるような美しさがあった。
私はその2人が大好きだった。
でも2人の中にいると、まるで降りたての真っ白い雪に踏み込んでしまうような「あ、壊したらいかん」という感覚に襲われる為、無意識に距離をとってしまう自分がいた。
そんな心情も重なり、教室の中でY子とあまり話すことがなかったのだが、授業中の手紙やメール、学校以外での場所ではY子と2人でよく話していて、気が付くと私が唯一何もかもを打ち明けられる友達になっていた。
Y子といるといろんな自分が見えてきた。
いいところも嫌なところも全て。
たぶん子供のようにだだをこねたり、すねたり、意地を張ったりしていたと思う。
私の上の兄弟はいわゆる世間でいうお姉さん、お兄さんというような人達ではなかったので、私は小さいころ母親に「あんたが先に大人になりなさい」と言われたことがあった。
この言葉はリピートし続ける音楽のように私の脳内で再生され続け、それは同時にいろんな感情を押し込めなければならないという決意につながった。
その結果、私はY子という懐の大きな子に大いに甘えてしまったのだ。
Y子ははっきりと「ムカつく」とか「めんどくせー」とか言うこともあったが「けど、なんかあんたのこと気になるんだよね。恋かしら(笑)」と親分肌の優しさでいつも付き合ってくれた。
Y子は私がどんなに嫌な面を見せても友達でいてくれた。
人への安心感、信頼感は間違いなくY子から教えてもらった。
そして1年生も後半に差し掛かった時、これまで同じクラスであったにもかかわらず、あいさつ程度にしか言葉を交わしたことのなかったWさんと私は急速に仲良くなり、この先唯一無二の親友になるのだった。
このWさんは形容しがたいほど個性的で、でもガラスのように繊細で、それでいてこれまでの誰よりもいろいろなツボが合致して、この世の中にこんなに理解しあえる子がいるのかって思うくらい気が合った子だった。
そしてまるで荒れ狂う波のように揺さぶり続ける感情の中で描いていた当時の絵は、たぶん今の私の絵を知っている人から見たら、似ても似つかないほどかけ離れた絵を描いていた。
苦悩、葛藤、疑問、焦燥・・・
どんどん深く深く自分の内面と向き合い、それと同時に生まれた世間との不協和音。
当時の絵はそんな思いをはけ口のように表現した作品ばかりである。
次回は当時の絵も掲載してみようと思います。
本日も読んでいただきありがとうございました!