三日月レモンのちょこっとエッセイ

絵や絵本を描いて暮らしています。日々の思い、感じたこと、体験したこと、過去のこと、そんな何気ないことを書き綴っていきます。

私は右と左がとっさに分からない

ブログ生活118日目

 

タイトルにも書いた通り、私は右と左がとっさに分からない。

これを聞いた人は「え・・・?この人大丈夫?」と思うかもしれない。

左と右がどちらかなんて幼稚園児でも知っているし、実際、このことを友人に打ち明けた時も「は・・・?」と言葉を失われてしまった。

実はこれは「左右盲」と呼ばれるもので、読んで字の如く、とっさの左右認識ができない人達のことを言う。

この原因は生まれつき左利きの人に多いとされ、幼少期に「お箸を持つ方の手が右」と教えられるため、左利きの子は混乱して左右がわからなくなるのだという。

そう、私も生まれつき左利きで右に直されて育った1人である。

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左右盲」という言葉を知る前は、このことをとても恥じていて誰にも言えなかった。

理由は明白。馬鹿だと思われたくないから。

しかし何年か前に、同じく左利きの叔母の運転する車に乗っていた時のこと。

母が「そこ右やで」と言ったのに叔母は左に曲がってしまった。

母は「こっち左やん」と言い、叔母は「あ、間違えた!」と笑った。

母は「姉ちゃんよう間違えるよなー、右と左」と言った時、私はハッとした!

「え…叔母ちゃんも右左とっさに分からない?」と思いきって聞いてみたら、「そうやねん」と言ってくれた。

「私も分からないんだよね・・・」というと、「レモンちゃん左利きやったけ?」と聞かれたので、「小さい頃そうだった」というと「だからやわ~。左利きの人に多いで」となんともあっさり答えてくれた。

私は「左右がわからない馬鹿な自分」というコンプレックスに対して、「左利きによるもの」という原因があったことを知り、長年の重しがなくなるような感覚をこの時感じた。

 

それから私は早速、「左利き 矯正」とか「左右がわからない人」とかでネット検索をかけると、本当に叔母の言う通り「生まれつき左利き」の人や「右に矯正された人は左右がわからなくなることが多い」と書かれてあった。

私の場合、生活の全般は右でこなしているのだが、脳みその構造的に私はやはり左が利き手なのだ。

一般的に「利き手」と言われるものは「右」とされている為、「利き手=右」という認識が私の中にはある。

お箸を持つ方の手が右と言われているのと同じニュアンスだ。

そのためとっさに左右を判断しなければならない時、自分の利き手である左を「右」、利き手ではない右を「左」と捉えてしまう。

これが私の左右盲の原因なのだ。

 

個人的な問題のせいだと思ってひた隠しにしてきたことにちゃんと原因があった。

これを知れたときの気持ちの安堵と、喜びは言葉では言い表せないほどである。

そうやってネットで調べていると実に多くの左右盲の人のブログや掲示板やらが存在した。

「私だけじゃなかった!」

1人で砂漠をさまよっていたところにオアシスを見つけたような、果てしない暗闇に一筋の光が射し手を差し伸べられたような・・・少し大げさだけれどそんな気分だった。

そして左右盲のことが詳しく記されている記事に、大きい文字でこう書かれてあった。

左右盲は病気でも障害でもありません」と。

私の長年のコンプレックスはこの言葉によってすっかり取り払われた。

「恥ずかしいことじゃない」「隠すことでもない」。

今はそんな風に思っている。

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ただやはり時々不便には思う。

「右右!」と言われて左に行ったり、左を見たりすると「ああ、間違えた…」と自分が歯がゆく感じる。

その度に味わう、大したことはないけれど針でちょっとつつかれるような自己嫌悪みたいな感情はこの先もなくならないだろう。

とくに苦手なのは、向かい合わせでストレッチなり、ダンスなり、体操なりすること。

以前ジムに通っていた時、「ハイじゃー右からー」と言われると私は向かい合わせの先生と同じ左からやってしまうので、1人行動が逆になってしまう。

ステップを踏む時もみんな右から踏んでるのに、私は左から踏んでしまい、隣の人にぶつかりそうになったりして、慌てて戻したり、次の行動ではまた左から動いてしまって、なんだか一人でタコのようにあっちにこっちにヘンテコな動きをしていた。

そんな些細な不便はあるけれど私自身は生活に大きく影響しているわけではない。

(中には運転等で不便に感じている人もいるので一概には言えませんが…)

 

もし、左右が分からなくて悩んでいる方、自分を情けなく思っている方がいたらそこには左利きに多いという理由・原因があるということを今回伝えたくてこのブログを書きました。

それは個人的なせいでも何でもなく、左利きの多くの人にあるあるなことだよと言いたかったのです。

私がかつて叔母のあっけらかんとした一言で救われたように。

本日も読んでいただきありがとうございました!