陽は昇り、陽は沈み、そしてまた陽は昇る
ブログ生活125日目
ここ最近のブログで「文章・言葉」「音楽」「絵画・色彩」について書いてきた。
とどのつまり何が言いたいかというと、芸術はARTは「Heal」「癒し」だと言いたかった。
この世にはたくさんの愛で溢れている一方で、たくさんの悲しみで満ちている。
苦しさのあまり目を向けられないもの、知っているけどあえて見ていないもの、自分が傷つきたくないから知ろうとしてないことがたくさんある。
テレビのニュースもそうだ。
毎日毎日心苦しくなるキーワードで溢れていて、ニュースを見ると気持ちが沈むので見ないようにしている時もある。
もちろん加害者をかばうつもりはないのだが、そうした事件の背景に目を向けると、1人の人のせいではないような事情や状況が垣間見られて、なんとも言いようのないにぶい痛みを感じてしまうのもまた事実である。
そしていつも思うのが、「誰か1人だけが悪」・・・ということはないのではないだろうかと思う。
生まれてくる赤ん坊は誰もが純粋で穢れないものなのだから、その子のせいだけではなしえないと思うのだ。
いろいろな環境、間違った思考や考えを持つに至った経緯。
関わってきた人のほんのささいな言葉の端切れや、何気ない行動によって価値観が作られていったのだとしたら、見えない毒というのは確かに存在するものだと思ってしまう。
誰のせいでもない、仕方のないこと。
考えても仕方のないこと、答えの出ぬこと。
私はこの世界が美しいものに満ち溢れ、愛によって創られていることを感じている一方で、この世の無情さ、残酷さ、見えぬ毒への悲しみのようなものも同時に感じている。
そういったどうしようもない悲しみを和らげてくれるのが、言葉や音楽や絵画、またはありとあらゆる作品、ARTなのだと思う。
歩き疲れた旅人に1杯のお茶を出す。
お茶が、冷えて疲れた体に温かくしみわたり、ああ、また歩くか・・・という気持ちにさせてくれる。
そのお茶がアートなのだ。
人間が生きているうえでもっとも大切なのは、この「ああ、また歩くか・・・」と思う気持ちなのだと思う。
どれだけ失敗しても、どれだけ間違っても、どれだけ転んでも、どれだけ止まっていても、「ああ、また歩くか・・・」と言って立ち上がること。
その気持ちこそがこの地球に存在する生き物共通の美しさであり、その美しさをつなげてきたからこそ今があり、私がいて、あなたがいる。
「陽は昇り、陽は沈み、そしてまた陽は昇る」
今は絶望に思えても、それは必ず愛につながっている。
無駄なものに思えても、それは必ず後につながる意味のある時間。
それでも辛いとき、苦しいとき、悲しみで絶望しそうなときは、本を、音楽を、絵をそばに置いておくのもいいものです。
それで救われたことが私には何度もありました。
2019年もいよいよ最後となりました。
誰の人の上にも平等に愛が降り注ぎ、たくさんのアートが心を癒し、また新たな1年、希望に満ちた2020年になりますよう、心からお祈りしています。
本年も三日月レモンの「ちょこっとエッセイを」読んでいただき本当にありがとうございました!
来年も愛も変わらないこの調子でブログを進めていく予定です。
またいつでも気軽に覗きに来てくれると嬉しいです。
ではでは、皆様良いお年をお迎えください。