一人ぼっちだと感じる日
ブログ生活130日目
少しぶりの更新でございます。
皆様お変わりないでしょうか?
私は前回インフルエンザにかかった内容のブログを書き、役週間ほどで全快し、また通常運転に戻って生活しております。
しかし、生きるということは常に土台のしっかりした地面に立っているというよりかは、私的にはいつもバランスボールの上に立っているような感覚で、一難去ってまた一難…というほど大げさなものでもないのですが、「こころ」というのは最高に気分のいい日をそのまま継続できる…というわけではないのが生きる難しさだと思っています。
人生で最高に幸せだった日、心が満たされた日、愛に満ちていた日、心が通じ合った日、感動で涙を流した日、この世のすべてに愛を感じた日。
それが変わることなく続いていければ最高なのですが、その次の日には人生でも指折りの最悪な出来事が起こったり、少しのことで悲しくなったり、辛い目に合ったり、心がかき乱されたり。
なかなか一長一短にはいかないものです。
「それだから人生は面白い、だからまた最高!幸せ!って感じられるのよ」と言われればそれまでなのですが、何とも言いようのない、人に話すほどではない、例えようのないモヤモヤした気持ち、とくに何ってわけでもない不安や空虚が活火山のマグマように地下深くに眠っていて、何の気なしに噴煙を上げ始める・・・ということが月に1回ないし、何か月かに1回・・・そういうことが私にはあるのです。
いや、もしかしたら私だけではなく、大なり小なり人にはそういうことがあるのではないかと思っています。
虚しさ、不安、なんかもう漠然といなくなりたくなる気分、ああ消えたいなという思い、なにもかも投げだしたくなるような焦燥感。
共通しているのは、「何が…ってわけでもない」こと。
特に何もなくても朝起きた時から何となく心臓がドキンドキンして、なんだか気が落ち着かなくて、何かやらねばと焦るけれど何も手につかなくて。
何もしない・できない自分がさらに嫌悪感で、そんな時に限ってやたらに孤独で、夜の海に1人放り出されたような寂しさを感じるのです。
どこまで行ってもひたすら一人で、それを紛れさすために誰かと話しても、そういう時は絶対的孤独感が心を占めているので余計にしんどくなるだけだったりして。
「私はどうしたいの?」「何が欲しいの?」「どうなりたいの?」
と自らに問いかけても、この状態のときは心はだんまり。
そう、「何がってわけでもない」から心も答えられない。
ただ漠然と満たされない気持ちだけがあるのです。
もうこういう時の対処法は「早く寝る」に限ります。
もう何も考えない、何もしない、どうにでもなれという気持ちでさっさと寝る。
次の日もやっぱり変わってないこともあるけれど、もうこんな時はやり過ごすほかないのです。
噴煙がおさまるのを待つ。
原因がないので対処法もなく、ただ待つというのは非常に苦しいものですが、『虚無』に対抗できるのは『無心』しかないのではないかと思うのです。
インフルエンザが治って、さあまた頑張るかと思った矢先、この感情の波がやってきたので「ああ、またこれか・・・」と苦悩していました。
今の時代、ネットを検索しればこういう感情との向き合い方に対する対処法も多々存在しているのですが、どれも共通しているのが「良くなるには!」「元気で過ごす方法!」「解放される方法!」などの文言ばかりで、対処法を調べておいて文句をいうのは何なんですが、そういう言葉を見ると私は逆にどっと疲れてしまうのです。
何だか今が悪い、そういう気持ちになるのはダメだ、とダメ人間のレッテルを張られたような気分になって余計に心が沈むのです。
私的にはそういう時「孤独感はみんな感じているよ」「満たされない時あるよね」「私もそういうの良くあるよ」と良くしようとか、悪いとかじゃない、ただそういう気持ちに共感してくれる方が安心と言うか、そうだよね、別に変じゃないよね・・・!となるのです。
だからもし、このブログを読んでくれている方の中でそういう気持ちになったことがあった人がいて、空虚感や孤独感、不安や焦燥感に苛まれている方がいたら、私もそうですって言ったほうが少し…少しだけでも…と思ったので今の私の素直な感情を書くことにしました。
なかなか生きにくい世の中ですからね。
色々便利になった分、失ったものもあって、でも人間の本質は変わらないから、このスピード優先の世の中にはなかなか心がついていけません。
しんどいけど、良くしようとか、今が悪いって肯定も否定もしないで、これが人間というものなんだ、誰にでもあるよ、変じゃないよと私は自分にも、読んでいただいている方にも言いたかったのです。
ただこれが生きるということ、日々というもの、一歩一歩のリアルというもの。
良くも悪くもない今日の心のつぶやきでした!
本日も読んでいただきありがとうございました!