素直に生きるということ①
ブログ生活133日目
私は小さい頃から他人の気持ちを感じやすく、何を欲しているか、何をしてほしいか、何を言ってほしいかが分かってしまうところがあった。
もちろん100%の正解率というわけではないが、相手の気持ちを感じてその通りにすると、これまでの人は誰もが喜んだり、「気がきくね」と言ってくれたので大抵は当たっていると言える。
私がこういうことを言うのは「人の気持ちが汲み取れる優しい人なのよ!」…と言いたいからではない。
子供の頃からいい子ちゃんでいることが自分の意思とは関係なくしみつきすぎて、私はいつも他人の気持ちを優先するという誰も得をしない道を歩んできた。
友達とランチに行けば友達の食べたいものを優先させ、親が望めばその通りのことを行い、無理をしてでも相手の期待に応え、頼まれれば断ることなくやり遂げた。
他人を優先するそうした行為は必然的に自己肯定感を下げ、いつも他人の顔色を見て行動し、他人の評価や言動が唯一自分を満足させる糧になっていた。
そしてその満足を得るために他人に媚びへつらっていた。
そして20歳を前にしても、私は自分の気持ちがわからない、人の気持ちによって自分というものが形作られるなんとも奇妙な人間になってしまっていた。
けれども人間というものは必ず誰しも意思や感情を持っている生き物である。
私がいくら他人思考軸の人間でも、無意識下には自分の感情があって、悲しみも、辛さも、苦しみも、感じてる。
ああしたい!こうしたい!という誰しもが持っている自己主張があり、それを「嫌われたくない」「いい子でいなければ捨てられる」という誤った認知によって押し込めてきた。
「あなたはどう感じましたか?」
この言葉は大学の病院実習で、実習先の担当の先生に聞かれた言葉なのだが、人生の中で私はこの言葉ほど答えに詰まった質問はなかった。
いいか悪いか、快か不快か、好きか嫌いか。
多くの人ならばすぐに答えられるようなこの質問に、当時の私は絶句した。
この時でさえ、どう答えればこの先生の機嫌が良くなるだろう?何が正解なのだろう?という思考でいっぱいだった。
隣に座っていた同じ実習生の男性は「めんどくさそうにやってる人を見て、嫌な気持ちがしました」とスッと答えていた。
こう言ってはなんだが、この男性はとても大人しい方で、実習中も一言も口を開いていなかったのに、この時は聞かれたことに関してすぐに言葉を返していたから私は驚いた。
一方の私は、普段は明るい感じを出してヘラヘラしているのに、いざとなるとこんな簡単な質問にも答えられない空っぽな人間だった。
この実習で学んだ「自己覚知」という技術は、対人援助職において非常に重要な技術の一つなのである。
自分を知ること、自分がどんな時に感情が揺れ動くか、どんな価値観や考えを持っているのか、ドロドロと湧き上がる嫌な面、偽善者を装い本当は自分のためと知ったときの羞恥。
自分と向き合い、己を知り、冷静に客観視できることで、利用者さんへの接し方も変わり、理解が深められ、余裕のある対応、冷静な判断に繋がるのだ。
土台がしっかりしていれば家はブレない…というニュアンスと同じなのだ。
そのため、実習生にはなによりもまず自己覚知をすることを与えられる。
そして私はこの自己覚知大いに苦戦するのだった。
続きはまた明日書いていきます!
本日も最後まで読んでいただきありがとうございました!!