三日月レモンのちょこっとエッセイ

絵や絵本を描いて暮らしています。日々の思い、感じたこと、体験したこと、過去のこと、そんな何気ないことを書き綴っていきます。

孤独な時、人間はまことの自分自身を感じる

ブログ生活143日目

 

人間にはどうしようもない悲しみというものがあるような気がしている。

私はこの言葉をネガティブな気持で言っているのではない。

今これを書いている私の心境はいたって冷静で心は穏やかそのものだ。

むしろ春の小川のように静かで温かい気持ちだ。

そんな冷静な気持ちだからこそはっきりとそう感じるのだ。

これまではその事実に触れぬよう、考えぬよう、気が付きながらも見知らぬふりをしていた。

しかし今ははっきりと事実を見据えることができる。

もう一度言うがこれはネガティブブログではない。

ただ、人は本来孤独で、決して誰にも何にも癒すことのできない悲しみというものがある。

それを知っておいたほうがいい。受け入れておいたほうがいいと私は思う。

このことはどうしようもない事実であり、後にも先にも決して変えることのできない絶対的なもののような気がしている。

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どんなに好きな人がいようとも、たくさんの仲間に囲まれていようとも、毎日そういった人達とつながり交流し充実した日々を送っていたとしても、どうしようもなく孤独を感じたり、寂しさを感じたり、悲しみを感じたり、虚無感を感じたりする。

「あー、だめだめ!こういう時は他のことをして気を紛らわそう!」

・・・でも心のどこかで分かっている。

この悲しみや孤独がぬぐえないということ。

紛らわすことはできても消すことはできない。

それは人間は初めから1人であるという事実が根底にあるからだ。

絶対的な孤独感を持っていて、みんなそれを本当は心のどこかでは分かっている。

 

「大丈夫だよみんないるからね」「あなたは一人じゃないよ」

私はこんなことを言われると安心感や寄り添える楽さみたいなものを感じるが、同時に言い知れようのない孤独感もまた感じてしまう。

なぜならばそれは「あなたは一人である」ということが前提になっているからだ。

海に向かって、空に向かってあなたは一人ではないですよとは言わない。

森の木々にあなたは一人ではないですよとは言わない。

けど、荒野にポツンと咲く一輪の花には「あなたは一人じゃないよ」と言うかもしれない。

「1人じゃないよ」「みんないるよ」という慈悲深く温かく優しい言葉は大抵一人ぼっちだと感じている人や、傍目にそう見える人、かわいそうと思った人に向けられるように思える。

だから私はこの言葉を言われると救われるようなありがたさや安心感を感じると同時に、言いようのない孤独感もまた感じてしまうのだ。

 

冒頭から言うように私は孤独や1人であるということをネガティブな気持で言っているのではない。

1人や孤独というものの必要性、重要性を大いに感じている。

どうしてこれらが人間の基盤としてあるのか。

・・・それには意味があるから。

その意味を私は見出したいのだ。

今の私が思うに、1人や孤独は冷静さを与えてくれる。

ごちゃごちゃした場所では他の人の気や考えや感情の波に流されがちだ。

そういった状態では自分らしさを発揮できなくなるばかりか時に見失ったりもする。

本来目指したい道から外れて、いつの間にか同じ道をぐるぐる回り続けているている・・・という状態に陥ってしまう。

自分の思考がなくなり物事を考えられなくなり、流されるまま、みんながしてる通りに動いているロボットのような存在になってしまう。

これではいけない。

みんなでやれば怖くない、みんなやっているから・・・

こういう時にふと1人になると「あれ?私何やっているんだろ?」と冷静になれる。

「いけない、いけない!私の行きたい道はここではなかった」と軌道修正ができる。

これも孤独のパワーである。

「孤独は人を賢者にする」

美輪明宏さんの言葉にある通り、孤独は良心に気が付かせ冷静に考えるための必要な機能のようなものなのだ。

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私は絵を描くときはひとりぼっちがいい。

物理的にも精神的にもだ。

私が文章を書くとき、孤独を感じていると実に文章がはかどる。

どうしようも埋められないもの・・・悲しみや孤独感。

人はそういうものから逃れよう逃れようとするが、認めてしまって受け止めたほうが楽である。

私は一人である。私はこの地球で孤独な存在だ。

だからこそたまにある人との交流が嬉しく感じる。

そのぬくもりが余計に感じる。

離れた時にはそれは悲しみも寂しさも感じるが、元来一人だということを知っていれば修復にそう時間はかからない。

 

生まれた意味、生きる意味、存在する意味。

今後何千年、何憶年地球や宇宙が何度も破壊や再生を繰り返して進んでいったとしても、同じ命は二度とは生まれない。

つながれてきた命、みんなが一生懸命に生きて磨かれてきた魂、何度も守られてきたもの。

この命を汚さないために、次へつないでゆくために自分には何ができるか、何をしていくか・・・

そう言ったことを考えるのには1人でなければ向き合えない。

心の声を聞いて。先祖の声に耳を澄ませて。魂の叫びに耳を傾けて。

それを聞くには静かでなければいけない。

一人静かに、落ち着いて、ゆっくりと。

人間には絶対的にそういった時間が必要なのだ。

その時間こそが人を豊かにし、知的にする。

自らを知る。自己を学ぶ。

それが孤独の本来の意味ではないかと私は思う。

 

最後にロシアの小説家トルストイの言葉を載せてこのブログの締めとする。

「孤独な時、人間はまことの自分自身を感じる」

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本日も読んでいただきありがとうございました!