木村花さんのことで思うこと
ブログ生活144日目
ご無沙汰しております!皆様お元気にお過ごしでしょうか?
2週間ぶりの更新になりました!
ようやくここにきてコロナの感染者数も減ってきて、もちろんまだまだ予断を許さない状況かとは思いますが少し精神的にホッと一息つくような心境です。
昨日でしょうか、女子プロレスラーの木村花さんがお亡くなりになったというニュースを見ました。
私はこの方のことは存じ上げてなく、またテラスハウスという番組も知らず、報道であげられているいる内容のことしか把握していないのですが、ただ一個人の気持ちとして若い人がなくなるというのは本当に一番辛く悲しい気持ちになります。
だったら若くない人だったらいいのか・・・というわけではもちろんありません。
ただやはり自分より若い方が亡くなるというのはたとえ他人様であったとしてもなんだか無性に胸の奥が締め付けられる思いがします。
様々な事故や事件、もちろん報道されていないところでの死というのも数え切れないほどあるのでしょう・・・
年端もいかない子供や中高生、まだまだこれから未来に希望が満ちている20代の子たち。
他人の私ですら若い人の死はこんなに辛く悲しいというのだから、ご両親、親族、お友達、お知り合いの方はどんなに辛いだろう・・・と胸中お察しするほかありません。
言葉とは本当に何にでも変化するものだのだなと最近感じています。
時には人を大いに癒し、寄り添い、愛を伝え、心を支える素晴らしいものである一方で、人を死にまで追いやることのできる武器でもあるのだと思うのです。
それも規制のない、責任もない、場合によっては証拠もない、時には愛を建前にしたり、相手にとっては毒以外の何物でもない・・・そんな目に見えない、解剖しても体に何の痕跡も残さない、ある意味最強の兵器のようにも感じます。
とくにSNSは便利さと手軽さの一方で、無責任で言いっぱなしの無法状態の場であるということをもう一度再確認しなければならないなと感じています。
言葉は使い方を間違えると毒になる。
少し過激な言い方をすると誹謗中傷は集団殺人も同然のような気がします。
それも責任のない。
お腹を痛めて産んだ我が子をここまで育て上げたお母様のお気持ちを考えると言葉が出てきません・・・・
もし私に娘がいて、世間に誹謗中傷を受けて追い詰められて・・・・と考えるとたぶん頭がどうにかなってしまいます。
私は鬼になってもいい、地獄に落ちてもいい、ろくな最期になってもいい、その言葉を投げかけた人を血眼で探してどうにかしてやろうとすら思うかもしれません。
みんな誰かに愛されるべき存在です。
みんな愛のもとに生まれた存在です。
そして同じ地球に生きる同士であり、兄弟であり、家族だと思うのです。
誰かを仲間外れにしたり、あっちへいけって追いやったり、追い詰めたり、批判したり、いじめたり・・・
そんな悲しいこと、虚しいこと、意味のないことがこの世からなくなりますように・・・
ただただそのことを願うばかりです。
最後になりましたが木村花さんのご冥福を心よりお祈り申し上げます。