ひとりはみんなのために みんなはひとりのために
ブログ生活147日目
私は最近、誹謗中傷による有名人や著名人の自死を耳にし、なんだか苦しいような、モヤモヤするような気持ちで過ごしていました。
耳にする…という意味では有名人や著名人が多いのかもしれませんが、こうした言葉の暴力による「追い詰め行為」は身近にたくさん溢れている気がします。
それが本当に何気ないことを含めると星の数のように日常に存在するのではないかと・・・
言葉は時として人を死に追いやることのできるツールです。
ましてやそれがSNSなど匿名性が高いものの場合、プラスして「言いっぱなし」「言い逃げ」といった無責任さが加わり、相手の心に地雷だけを残してしまいます。
言った本人は何の気なしに入力しているでしょう。
自分が相手の心に地雷を埋め込んで苦しめ続けるなんて1ミリも思わず・考えもせず、ただ「おはよう」や「おやすみ」をつぶやくような気持ちで、場合によっては悪気もなくコメントするのでしょう。
自分が言われたらどう思うか・・・?
そんなことを考える想像力は一ミリもなく、中には盛り上がりに便乗して面白おかしく書く者も、ストレスのはけ口に書く者もいるでしょう。
相手がどうなろうとお構いなし。
「自分だけが言っているわけではないから」
もし最悪の場合、その対象者が命を経ってしまおうとも誹謗中傷した人達は誰一人として自分のせいだとは思わないでしょう。
だって「みんな言ってるじゃん」「みんな言ってたから自分のだけのせいではない」
この「みんなでやれば怖くない」と言った集団心理こそが人の思考を停止させ、責任感をなくし、無意識・無自覚のうちに人を死に追いやるいじめや誹謗中傷に加担してしまっているのです。だから怖いのです。
なぜならば人は失敗や自分が悪かったという気持ちがなければ、同じようなことを繰り返し続けるからです。
「天に向かって唾を吐くと自分に降りかかる」という言葉がありますが、私はこの言葉を肝に銘じています。まさにその通りになるからです。
誰かの悪口を言うと必ず自分も言われている。
無視したり嫌なことをすると必ず自分も同じ目に合う。
人を睨むと必ず自分も睨まれる。
人を裏切ると必ず自分もいつか人に裏切られる。
人をだますと必ず自分もいつか陥れられる。
なので心にはいつも「情けは人の為ならず」ということを念頭においておくようにしています。
というのも、私の10歳ほど上の友人がこの言葉を何度も何度も、まるで口癖のようにしていつも教えてくれたからです。
「人に親切にしているとね、レモンちゃんには直接返ってこなくてもレモンちゃんの家族や好きな人や大切な人にその親切にしたものが返ってくるんだよ」
「だから人には優しくしていようね、レモンちゃんの大切な人が優しくしてもらえるようになるからね」と。
そしてこの言葉の証人となってくれた人が私の亡き父なのです。
父のことは以前ブログにも書きましたが、父は生前人の悪口や批判を一切言わない人でした。
それは自分が実感している部分に足して、父のお兄さんや、幼馴染の親友の方、30年来仕事で付き合いのある同僚の方から教えられたことでもありました。
父の残してくれた優しさは、今でもなお私たち家族に与えられているのです。
父が亡くなって16年も経ちますが、今もなお遠方から父の親友が仏壇に手を合わせに訪ねてきてくれ、私や母の様子を見に来てくれるのです。
こういう時私は友人に教えられた言葉をいつも思い出すのです。
「人に親切にしているとね、レモンちゃんの大切な人が優しくしてもらえるようになるからね」
この友人の言葉を、そしてそれを証明してくれた父のことをたくさんの人に知ってもらいたい。
この狭き世界、みんなが助け合って、フォローしあって生きていけたらどんなにいいか。
1人1人が大切な大切な世界にたった一人しかいない特別な存在なのだから。
後にも先にも決して同じ人は生まれない存在なのだから。
その命をみんなで守って、次につないでいけるようにすることが、人間全員に与えられた使命なのだと思うのです。
「ひとりはみんなのために みんなはひとりのために」