三日月レモンのちょこっとエッセイ

絵や絵本を描いて暮らしています。日々の思い、感じたこと、体験したこと、過去のこと、そんな何気ないことを書き綴っていきます。

待つことの大切さ

ブログ生活150日目

 

皆様ご無沙汰ばかりしていて申し訳ございません。

いかがお過ごしでしょうか?

私は元気に生きております。

 

昨年は1年間精神保健福祉士の勉強に費やしていたので全く絵を描かなかった年でした。

おかげさまで国家試験にも無事に受かり時間ができたので「さぁ絵を描こう!」とワクワクしていました。

絵の具、絵筆、水彩紙を用意し「さ、描くぞ!」としたのですがどういうわけか全く何も浮かびません。

まるで枯渇した井戸のように何も湧き上がってこなかったのです。

 

1年間描いていなかったせいか、脳みそが精神保健福祉の頭にシフトチェンジしてしまったのか、頭の中が真っ白になってかつてのような世界感が浮かんでこなかったのです。

 

うーん、困った。

 

私は1度落ち着いて「どうしたい?」「何したい?」と自分の声を聞いてみました。

 

自分の声を聞くとき大切なことは、体裁、プライド、使命感、焦り、不安みたいなもの全部全部取っ払って聞くというです。

「この世界で私しかいないとしたら今は何をしたいか」「何ヶ月後かに死ぬとしたら今どうしたいか」というように時間や制限なんかない世界観で捉えると自分の声が聞こえやすくなるのです。

 

そうやって聞いてみると「・・・今は描きたくない・・・」と言っている私がいました。

 

 

そうか、そうか、描きたくないか、うんうん、

じゃあね描かなくていいんだよ

描きたくないものはしょうがない

だって描きたくないんだもの

 

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私は心で感じていることを無理に捻じ曲げて無理に何か行うことがあまりいいとは思いません。

根性みせろとか、踏ん張れとか、乗り越えろとかその場ではできたとしても、必ずその代償がどこかで後からくると思っているからです。

しかもその代償のほうがよほど大きくなると思うのです。

 

行きたくないのに行き続けた、やりたくないのに周りの期待にこたえるため無理をした。

なにか日本ではこういう「無理をして乗り越える」みたいなことが美徳のように思われている風潮が少なからずあるような気がします。

 

でも私はそれはとても非効率に感じてしまうのです。

 

 

日本における根性論には「人間なのだから…」という言葉が抜けているように思います。

 

疲れることもある、人間なのだから

やりたくないときもある、人間なのだから

落ち込むときがある、人間なのだから

うまくいかなくて不安定になることもある、人間なのだから

 

 

疲れるのも、やりたくない時があるのも、うまくいかない時があるのも、誰かに八つ当たりして自己嫌悪してしまうのも、不安定な時があるのも当たり前なのです。人間なのだから。それが人間というものです。

 

生まれもった人間の特性、性質を否定することは誰にもできないのです。

 

人間と呼ばれる動物全てに、全てに共通する働きであり、程度の違いはあれど誰しもあるのです。人間って完璧じゃないのだから。

 

だからこそ個々の能力が違うのであって、ある物事においてできないこと苦手なことを、それを得意とする人苦なくできる人、またその逆もしかりで補い合うことができる生き物だと思うのです。

 

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少し話がそれてしまいましたが、話を戻しますと、私は描こうと思っていた時期に描きたいとは思っていなかったことに気が付きました。

でもこれまでも何度もそういうことはありました。

言ってみたらそういうことの繰り返しなのです。

 

描きたい→描く→描きたくない→描くのをやめる→また描きたくなる

 

この繰り返しです。

何度も何度も経験してきてるのでもう慌てません。

答えは簡単なのです。

 

「描きたくなるまで待てばいい」

 

ジブリ映画の魔女の宅急便で森にいる絵描きのお姉さんが言っていたセリフは本当にその通りなんですよね。

 

「描けなくなったら描くのをやめる!散歩したり昼寝したりして何もしない!そしたらまた描きたくなる」ってセリフ。

 

 

けど意外と待つのって苦しいのです。

のんびりするみたいに思われるかもしれませんが、不安と焦りが襲ってきて精神的には休まらないのです。

待つのは勇気のいること、精神力のいることなのです。

 

 

哲学者である鷲田清一さんの言葉にあります。

「現代は待たなくてよい社会、待つことができない社会になった。私達は意のままにならないもの、どうしようもないもの、そういうものへの感受性をなくし始めた」 

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元来作品やアート、音楽にしても何かを作るということは魂を込めることです。

なのでとても疲れることだし、作品が完成したら寝込むこともあるくらいです。

その魂を入れる作業のためには、それを行うまでの過程もとても重要で、気持ちを高める、エネルギーを高める、波動をあげる為に「待つ」ことが必要なのかなと思っています。

 

 

私は待ちました。

3ヶ月くらい待ちました。

他のことをしていました。

手芸したり、福祉の勉強したり、身体を動かしてトレーニングしたり。

 

 

そして今、徐々に色が形が世界がまた見えてきて、自然に絵に向かえました。

時期がきたのでしょう。

7月、今描いています。

心からの描きたいという気持ちのもとで。

掲載できる日を楽しみにしています。

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本日も読んで下さりありがとうございました!