パンツと火傷の5歳の夏休み
ブログ生活153日目
あれはまだ幼稚園生の頃、5歳くらいの時のこと。
暑い暑い真夏の太陽の照つける8月の夏休み。
私は家から歩いて5分くらいのところに住んでいる友達の家で遊んでいました。
その日は朝からとても暑く、アスファルトから陽炎がゆらゆらと見えるほどでした。
あまりの暑さに友達のおばさんも「暑かけんプールば入らんね」と言って、玄関先にビニールプールを出してくれました。
おばさんは暑い中せっせとプールを膨らませ、台所からホースを伸ばしてジャブジャブとお水を入れてくれました。
私達は大喜びで、水の貯まるのを今か今かと待ちわびていました。
けどその時私はハッとしました。
なぜならばプールに入る予定などなかったので何も持ってきていなかったのです。
水着なんてものはもちろん、たとえパンツ1枚で入っても着替えや換えのパンツもありません。
…第一パンツを濡らしてきていいのか……
私は小さい頃からこういうことを異様に気にする子供でした。
車で出かけているときも姉や兄は眠たくなったら勝手に寝ていましたが、私は一言親に「寝てもいいか?」を聞かないと寝れない子供でした。
もう着いてしまうんじゃないか、今寝ていいのか?、寝た私に気が付かずみんな行ってしまったらどうしよう…など子供のくせにいろいろ心配でたまらなかったのです。
その時も同じように、パンツを濡らしてきていいか、帰りはどうやって帰ろうかそのことが心配でソワソワしていたところ友達が「レモンちゃんどうしたと?」と聞いてきました。
私は正直に「パンツを濡らしてきていいのかお母さんに聞いて来なくちゃ」と言いました。
すると友達は「電話で聞いてよかよ」と言ってくれたのに、電話代が…と気にして、「すぐだから今家に帰って聞いてくるね!」と私は靴も履かずに裸足のまま走り出しました。
そう…裸足のまま…
近いから裸足で平気と思ったのです…
しかし真夏のアスファルトで、陽炎すら見えるような暑い日です…
友達の家を飛び出して半分くらい来たところで私は靴をはいて来なかったことを大後悔しました。
道が熱くて熱くてまともに歩けないのです。
私はなんとかアスファルトじゃない道や土の上、街路樹の上をアスレチックでもするかのように飛び跳ねたりしながら家に進んでいきました。
それでも焼け付いたアスファルトの上を裸足で歩くというのは焼けた鉄板の上を歩くのも同然なのです。
なんとか家にたどり着いた時には私の足の裏は真っ赤になっていて、ヒリヒリ痛く、立っていられないほどでした。
それでも裸足で帰って来たことがバレたら怒られると思った私は母に「Mちゃん家でプール入るからパンツば濡らしてよか?」と平然としながら玄関先から大きな声で聞きました。
すると母はやってきて「あんた靴は?」と真っ先に聞かれ、もはや逃げ場もなく、言い訳も浮かばずもじもじと「…裸足で帰ってきた…」というと、有無を言わずに足の裏を見られてしまい、「真夏に裸足で!!!やけどしとるやん!!」ともちろんのこと怒られ、そのまま医者に連れて行かれました。
友達には電話で「あの…病院行くけん…今日遊べん…」とボソボソ謝りましたが、友達はなんのことだか不思議だったでしょう。
パンツを濡らしていいか聞きに帰っただけでなんでそんなことになるのだろうと思ったことでしょう…
せっかくおばさんが暑い中プールを作ってくれたのに、たかだかパンツのことでなぜ火傷をする羽目になったのだろう…
パンツなんて濡らしていいか確認なんかせずに気にせずパンツのまま遊べばよかった…!
ああ…なんて私はバカなんだろう…
パンツが濡れてようが、そのまま服を着て帰ったってちょっと気持ち悪い思いをするくらいじゃんか…
それが嫌ならパンツ脱いでパンツなしで洋服着たってズボンだし、ちょっとスースーするだけのことじゃんか…
病院に向かう車の中で私はそんなことを悶々と考えて後悔しました。
幸い火傷は大したことはありませんでした。
病院ではお医者さんにやけどの薬を塗られ、両足に包帯と、包帯を止めるネットを巻かれ、私はなんとも痛々しい格好で帰宅しました。
パンツのことで火傷した話を聞いた家族にはバカだバカだと言われましたが、自分でも「バカだなぁ…」と納得していたので悲しくも悔しくもなかったのを覚えています。
確かこのあとには急な坂道を友達と三輪車の二人乗りで駆け下りて、転んでたんこぶできた思い出もあります。
その話はまた別の機会にお話します。
皆様も夏のアスファルトにはお気をつけください。
本日も読んでいただきありがとうございました。