自分の絵を探す旅⑤専門学校時代編
ブログ生活111日目
※今回のブログは前回の「自分の絵を探す旅④たった一人立ち上がったヒーロー」の続きになります。
絵を描く。
それは自分自身と向き合うことだと私は思っている。
自分を知る、自分という人間を知る。
自分が何を考え感じているか、そして言葉にできない思い、言葉にしたくてもできない気持ち、それを絵で表現する。
だからいろいろなことを敏感に感じ、気が付き、揺れる心と向き合わなくてはならない。
しかし日常生活において気が付きすぎるということはいらぬ特徴である。
本当だったらどっかにやってしまいたい特徴である。
誰も気が付かない、気にしない…そんなものが見えたり聞こえたりすると、大抵は変な目で見られる。
「気にしすぎだよ」「考えすぎだって!」
「そんなこと気にする人いないから大丈夫だよ」
「誰も見てないって!」「そんなに気にしてたら疲れない?」
何度言われたかしれないこれらのセリフ。
・・・どんなにタフな人に憧れたことか。
私の思う"タフな人"とは、色々なことを気にしすぎず、「そんな人もいるよねー」と受け流すことができ、嫌なことがあっても「私寝たら忘れるから~」と笑えるような器の大きな人である。
いつでも「大丈夫大丈夫!」と大きくかまえて笑っていられるような人である。
そんな人に憧れて、タフのように振る舞って過ごしてみたこともあったが、しかしそれはもともとない器に無理やり水を入れて、溢れても気が付かないふりをしていたにすぎず、結局水浸しの代償が後から降りかかったにしか過ぎなかった。
そんな漠然とした世の中との疎外感や、交われない虚無感を感じていた気持ちに変化が起こったのは、デザインの専門学校へ行きはじめてからのことだった。
なぜならばここにいるみんなは、自分と似たような性質の人ばかりだったからである。
「レモンは私のことは何でも聞いてくれるけど、自分のことは何にも話してくれないね」
学校に慣れ始めた矢先、クラスメイトのY子に言われた言葉である。
・・・・・・・・・・え???
私のこと?何を言えばいいの?
こんなことを聞かれたのは初めてだった。
私はそれまで自分の心を人に打ち明けたり、話したりしたことがなかった。
幼少のころから「いい子」の面をかぶり続けていたので、自分の本当の腹の内を誰にも明かしたことがなかった。
末っ子特有とでもいうべきか、私は昔から要領がよく、親にとっての「いい子」を意識的に演じてきたのだ。
自分の気持ちよりも、その人が何を望み、喜んでくれるかというような『他人思考軸』を小さい時から働かせていたので、いつの間にか私は自分の気持ちというものがわからない人間になっていた。
つまり無意識に相手を優先する癖が付いてしまっていた。
一見いいように見えるが、私はこの性質のせいでこの先猛烈に苦しめられる場面に多くぶち当たることになってしまう。
…今でも完全に自分軸になっているとは言えない。
無意識に相手の望みを優先しようとする癖は今なお直せないでいる。
この性質が私をたびたび絵の不調に悩まされたり、筆が止まってしまう原因の一つになっている気がしている。
しかし、この専門学校で出会った友達には仮面が一切通用しない。
そしてその仮面を一発で見抜いたのがY子だった。
彼女は私がなにを思い、何を考え、何を感じているのか、私の心にどんどん入ってくるような人だった。
Y子だけではない。
イラストの授業でも、描いた作品に何を感じたか、どう思っているのかを全員の前で発言し、自分というものを見せていかなければならない。
これまでの18年間、「いい子」「道化」の面をかぶって、周りの人に合わせてカメレオンのように生き、周りのカラーに合わせて自分を彩色していた私が、突然、裸のまま真っ白の何もない世界に立たされる……当時の私はそんな気分だった。
「・・・?何を思ったか・・・?」
「何を感じたか・・・?」
他人思考軸で生きてきた私にとってこれほど難解な質問はなかった。
自分の感情に蓋をしすぎてもはや自分の気持ちが分からなかった。
唯一わかっていることは、「自分がどう感じているかわからない」ってこと。
しかしそんな答えでは呆れられる…と例によって人の顔色を見る癖が先行して、結局何も答えられないまま席に戻るということが多くなっていた。
私って何を感じているの?
何を思っているの?
18年目にしてぶち当たった壁。
そしてK子や先生から作品から求められる私という人間の本性。
混乱、困惑。
そうして次第に自分の内なる声を意識し始めた時、今まで感じたこともない苦悩と葛藤、喜びと期待という感情に振り回され始めるのだった。
今日はここまでにします。
また次回本格的な専門学校時代の話に突入していきます。
本日も読んでいただきありがとうございました!