2020年の抱負
ブログ生活126日目
新年あけましておめでとうございます。
2020年がいよいよ始まりましたね!
しかし私は去年の12月から、クリスマス・年末・年始といった雰囲気に乗り遅れ、「え?もうクリスマス?全然そんな気がしないなぁ」「え?もう大晦日?」「え?お正月?」といった感じで、人生で初めて全く年末も正月気分がない年明けとなりました。
ずっと普通の平日で、いつもと変わらない気持ち、普段と変わらない生活スタイルで過ごしていました。
2018年から2019年になる時は、11月からクリスマス用の熟成フルーツケーキを作りはじめ、大掃除を一気にしないでいいようにちょこちょこ掃除を始め、クリスマスのメニューを考えたり、年末年始の料理を早くから決めていたのに、今年はまるで真逆でした。
要はなんにもしなかった。
そんな気分ではなかった・・・のです。
それよりも私の中には消え失せていた炎が再び点火したような、止まっていた時計が再び動き出すような、「もう自分の人生なんて…」と半ば自暴自棄になってあきらめていたのに、(けれどそれはネガティブな気分ではなくて、ただ漠然としたどうでもよさのような空虚感があった)不思議なもので「人生ってまだまだ捨てたもんじゃないのかも!」「いいことってあるのかも!」「私にもまだ希望があるのかも!」「いくらでもやり直せるのかも!」という気持ちがいっぱいになっていて、年末年始のことなんて私には考える余地もなかったというのが正直な心境だったのです。
「人生遅すぎるということはない」
「やり直しちゃいけないなんて誰が言ったんですか?」
どこかで聞いたセリフや言葉が頭の中で何度もリピートされました。
本当に不思議なもので、私の運気のようなものが今ようやくそういう流れに乗り始める時なのか、今私がやろうとしていること考えていることに助言するように、励ますように、それでいいんだぞ!とでも言われるよに、あらゆる日常の出来事に答えやアドバイスが目の前に現れるのです。
まるで神様かなんかに「そうそう、それでいいんだよ」と言われているとしか説明のしようがないほど偶然の一致が続くのです。
もちろん科学的根拠はありませんし、冷静に考えれば私が欲しい情報だけに耳を傾けているからともいえますし、半分自分で自分に暗示をかけているのだとは思っています。
しかしそれでいいのです。
暗示の力は絶大だということを十分知っているし、根拠のない自信と言うのも大切だと私は思っています。
新しい年、新しい目標、新しい一歩。
節目なんて人間が勝手に考えたことなのかもしれないけど、生きていくうえで真面目になりすぎずに「またやり直せばいい」「また始めればいい」と切り替えて考えるのにはもってこいだと思います。
人生にはその時々でいくつも曲がり角や、坂道や下り坂があります。
世間の目、周りの声、そして何より自分で自分を卑下する言葉が常に影のようについてきて、それに負けそうになったこと、くじけそうになったことが何度も何度もありました。
「いわゆる世間的に体裁のいいことをしていればいいだろうか?」
「安定と言われている道を歩むほうがいいのだろうか?」
「とりあえずお金のためにさえ働いていればいいのだろうか?」
その度に「これが本当にやりたいことなの?」「1年後に死ぬとしたらこの道を本当に歩みたいの?」と自分に何度も何度も問いかけました。
一人で歩く道。暗い道。ゴールの見えない道。
一人取り残されているようで、1人違うことして蚊帳の外にいるような気持ち。
自分を信じる炎はだんだん小さくしぼんでいき、ここ何年かの私はかろうじて灯っている針の先のような火にすがるだけで精いっぱいでした。
けど新たに見つけた道。
これを読んだ人は「え?絵をやめるの?」「他のことするの?」と思う方もいるかもしれません。
絵はやめません。
絵はこのまま続けていきます。
絵をもっと安心して描けるよう、精神的不安に襲われなくていいよう基盤づくりをしようと思っています。
また次回のブログで詳しく私の新しい目標について書いていきたいと思います。
本年もどうぞ三日月レモンの「ちょこっとエッセイ」をよろしくお願いいたします。
本日も読んでいただきありがとうございました!