ローギアのままで。
ブログ生活42日目
去年の11月ごろから不調が続いている。
不調といっても体は元気だし、睡眠もとれている。
食事もとれているし、人と話もしている。
おかしいことがあれば笑うし、美味しいものが食べたい気持ちもある。
そう、別段何も変わっていないのだが、何故だか気持ちがおかしい。
すべてが虚しく、無感動、どうでもいい、無気力といった感じで、これまで弱火でもついていた火が完全に消えてしまったような気分が続いている。
「なんだろうな?」
と自分でも疑問に感じていた。
何かあったわけでもない、同じような日々を過ごしているのに、なぜだかだんだんとそうなっていた。
毎日のように描いていた絵も描く気がなくなり、筆をとることも、考える気さえ起こらず、まるで井戸が枯れたように何も湧いてこなくなった。
しかしこれまでも、大きな制作の後や期限付きの納品の後は、こういう燃え尽き症候群のような症状が出るので、特に深刻にならずに別のことをして過ごすことにしていた。
散歩したり、買い物に行ったり、旅行してみたり。
私は絵を描いたり、何か制作したり創造するということは、こういう外の景色や建造物、形や色、音楽や時間の移り変わりを吸収したり、見たり、体験することがとても大切だと思っている。
決して机の上だけでは得られない刺激を存分に吸収して、いろいろな感情に気づき、触れることでまた創作意欲が出てくるので、少し行き詰まりを感じたら絵を描くのをやめて、とことん外に出るようにしている。
なので、今回もそうして過ごしていた。
しかしどういうわけか、今回の燃え尽き症候群は少し厄介で、きれいなものを見たり、違う環境に身を置いても、井戸の水がまた湧き出ることはなかった。
「おかしいな、おかしいな・・・」
と、さすがに若干焦りを感じてきて、いやいや、こういう時に焦るのが一番よくないんだ、となるべく平静を保って、待ってみることにした。
やりたいことをやって満足したらどうだろう?と思うのだけれど、やりたいことがない。湧いてこない。
すべてが虚しく、無意味に思えて、何をやっても、何をしていてもしらける・・・といった心情だった。
少しずつ歩んできた道が、ものすごいスピードで後退していくのを感じ、それでもどうしようもない虚無感の陰から抜け出せなかった。
人間の心って複雑で難解なものである。
「心が体を動かしているんだなぁ…」と呑気に感心していた。
それから何故こんな気持ちになるのか自分なりに原因を考えてみた。
「更新しなきゃ登録者が減ってしまう!」
「新しく絵を描かなきゃみんなが離れて行ってしまう!」
「絵を描く場所、そしてそれを公開できる場所がなくなったら私には何の意味もない人間だ」
誰も追い立てていないのに、誰も責め立てていないのに、自分で自分を追い込んでいた気がする。
そうした焦燥感が今回の原因ではないかと思った。
なんとなく原因が分かったので、少しの間、自分のペースを取り戻すために、スマホやネットから離れていた。
そのやり方がよかったのか、今は少し良くなってきている。
2年後に大きな目標もできてそれに向けて計画を立てることができ、少しマッチをすれたかな、少し井戸の水が出てきたかな…と感じている。
「おお、目標はやはりいいものだな」
と自分でも意欲が湧いた自分に少し安心した。
私はこのブログで「不調だったけど乗り越えました!」と言った成功体験を書きたいわけじゃない。
この先もこのままの状態、ローギアのままでもいいかなって思っている。
ブログの更新も、ツイッターも、絵の新作も頻度も少なくなるかもしれない。
けど焦って描いて、気に入られるように描いて数多く更新するより、本当に描きたい気持ちで自分の好きな心のこもった絵が一枚描ければいいかなと今は思っている。
ローギアのままで。
一歩一歩自分の足で、心と共に。
今はそう思っている。
最後に、私の大好きな「大草原の小さな家」のドラマのセリフにこんな言葉がある。
「相手に好いてもらうために自分を変えたりすることは最も愚かなことよ。あなたのままでいて。」
ゆっくりいこう。
カタツムリの速度で。
スマホやネットから離れてみるとそんなことに気がつく。