三日月レモンのちょこっとエッセイ

絵や絵本を描いて暮らしています。日々の思い、感じたこと、体験したこと、過去のこと、そんな何気ないことを書き綴っていきます。

座ったままのマリオネット


ブログ生活42日目

 

今日テレビで、AIによる生活がすでに実現しているという内容の番組を見た。

 

掃除は自動で認識されてしかるべき場所に収納してくれ、洗濯物は自動でおたたみまで行ってくれ、冷蔵庫のビールなども数量が足らなくなると自動で出荷してくれ、起床時間に合わせて自動でコーヒーが出来上がる・・・など様々であった。 

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私はAIだの、デジタルだの、自動だの聞くと言い知れぬ疲れのようなものを感じる。

「便利なんだか…不便なんだか…」

という気持ちになって、「ん~・・・なんだかなぁ・・・」とおやじのようにつぶやいてしまう。 

もちろん今現在、知らぬところですでに時代はテクノロジーに満たされていて、自分自身もその便利さを当たり前のようにして生活している。

 

パソコンで何かを検索しない日はないし、近隣のスーパーは9割が自動精算レジに切り替わってしまった。

飲食店に行けば注文はタッチパネルというのも、もはや当たり前のようになっていて、私の母ですら普通に操作している。

「便利になったねー、楽だよね」と思うことも度々だ。

いちいち店員さんを呼ぶこともないし、レジでもめてる人をあまり見なくなった。

必要な物も、必要な情報も、今やボタン一つの時代だ。

 

しかし、今日テレビで見たように、生活の何もかもとなると眉をひそめてしまう自分がいる。

朝起きて勝手にコーヒーが入れられるのは嫌だ。

紅茶が飲みたい日もあるだろうし、「今日はゆっくりしていられる!」というようなイレギュラーが起きた日に、コポコポとコーヒーを入れる音が聞こえたら、追い立てられるような気分になって不快だ。

テレビのコメンテーターの人の言葉をそっくりに書くと、

「自動洗濯物おたたみも、機械がたたみやすい同じような形状のものばかり選ぶことになって、これでは人間が機械に合わせるといったようなことになる」と言っていた。

そして、もう一人の方が、

「私はルンバを使っていますけど、結局ルンバが吸い込まないように自分である程度片づけてからスイッチ押してます」といっていた。

 

なんだそりゃ。

「便利なんだか、不便なんだか・・・」

機械に振り回される、機械に追い立てられる。

所詮何通りものパターンを認識できたとしても、予測のつかないことをするのが人間である。

人間の心は、決して機械の計算では答えの出せないものではないだろうか?

それが、やれ自動だ、やれ便利だろう、やれ楽だろうと、まるでこちらをロボットに仕立て上げているかのような感じすら受ける。

 

私はどちらかというと江戸時代の完全リサイクル社会に生きたかったと思っている。

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浅学の青二才のたわごとなのかもしれないが、洋服を繕い、着古したら使える箇所を子供用に作り直し、その子供も着古したら今度は赤ん坊のおしめに使い、おしめが取れたら雑巾にする。

雑巾として使えなくなったら、焚き付けに使い、灰になったら洗濯や肥料として使う。

一つのものを大切にするという仕組みが個人レベルではなく、社会レベルで行われていたのだからすごい。

まさに完璧なエコ社会がかつての日本にはあったのだ。

 

現代の恩恵を受けて生きている自分が言うのもなんだが、やはり私は何でも自分の手で作りだし、時間がかかってもその過程を楽しむほうがいい。

「スピード、即戦力、すぐ!早くできます!」

企業の宣伝文句はこんな単語で溢れていて、「いや、いいよ、そんな…」という気持ちになってしまう。

もちろんそうしてもらわなければ困るという人もいるし、自分もその恩恵にあずかるときもあるので一概にも言えないのだが、配達員の方が5分でも遅れようもんなら、息を切らして謝って来られるのでこちらが恐縮して気の毒に思えてしまう。

 

誰が悪いってわけじゃない。

求める人がいる以上、それに応えるべく、社会の仕組みがいつの間にかこうなったのだろう。

 これからますます加速、無駄なもの排除、無駄な時間の短縮、スピード優先の時代になっていくのだろうか。

 

どんなに社会の仕組みがスピード重視、自動中心になったとしても、自分の手で家事を行い、自分の手で何かを作り、自分の心で感じ、工夫し、時間がかかっても自分の手でパズルを完成させたいと私は思う。

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人との出会い、ぬくもり、心が通い合った時の喜びや、一からものを作り上げる喜びは人間にしか感じられない尊いものだと思っている。

「必要無駄」があるからこそ、「遊び」の部分があるからこそ、人生は豊かになる気がする。