三日月レモンのちょこっとエッセイ

絵や絵本を描いて暮らしています。日々の思い、感じたこと、体験したこと、過去のこと、そんな何気ないことを書き綴っていきます。

元気でいてほしい あの頃のお友達

ブログ生活148日目

 

毎年このくらいの時期になるとなんとなく思い出すことがある。

今から26年前、私が小学校5年生の夏休み中に長崎から東京に引っ越した時のことだ。

生まれてからずっと長崎の地で育ち、通っていた小学校も5年生で新たにクラス替えをして新しい友達もでき、いい担任の先生にも恵まれ、唯一絵を描ける「漫画クラブ」にも入り、このまま小学校を卒業し同じ仲間と中学校へ行き楽しく過ごしていくものだと思っていた矢先のことだった。

「え?東京?」

私はちっともうれしくなかった。むしろすごく嫌だった。

友達には「東京いいなぁ!」「羨ましい!」などと言われたが私はちっとも良くなかった。

この平凡で素朴なこの土地が大好きだったし、残りの1年半を知らない小学校で過ごすのも嫌だった。

しかし私はまだ10歳。

子供の意見が通るはずもなく、まるでベルトコンベアーに乗せられた製品のようになすすべもなく親の決断に従うほかなかった。

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そして夏休みが明けた2学期の初め、不安と緊張の中新しい小学校に行き、よくドラマのシーンでもあるように転校生として黒板の前に立たされ「よろしくお願いします」と挨拶をした。

みんなの視線が嫌だった。

知らない顔、知らない先生、知らない校舎、知らない教室。

これまで知っている世界でしか過ごしてこなかったのに、一転して何も知らない場所に落とされた不安といったら今思い出すだけで嫌な気分になる。

挨拶をすませ、席につき、その日は始業式だったのでホームルームと掃除だけで終わった。

掃除の時間に他の女の子から少し話かけてもらい少し緊張が解けていた。

なにせ私はこの夏休み中、友達ができるかそれだけが不安で過ごしてきたからだ。

そして幸運なことにその日の放課後に「一緒にプールにいかない?」と屈託のない笑顔で話しかけてきてくれた女の子がいた。Aちゃんだ。今回の話の主人公である。

Aちゃんは「近くの運動公園にプールがあるの!今日一緒に行こうよ!」というのだ。

そのプールのことは知っていた。

夏休み中に兄と近所を探検し見つけた場所の一つでもあるし、市営なので子供は50円では入れることもありすでに何度か兄と行ったことがあったからだ。

「あ!そこ知ってるよ!」と私は言った。

知らない土地のはずなのに唯一知っている場所を教えてもらうことなく分かることができて、一気にここの土地になじめたような気がして嬉しかった。

「じゃあお昼ご飯食べたら運動公園で待ち合わせようよ!」

そういってその他にもクラスの女の子2,3人が一緒に行きたいというので、5人くらいの友達がわずか半日ででき、夏休み中の憂鬱は一気に吹き飛んだのだった。

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Aちゃんとはそれからとても仲良くなり毎日のように一緒に遊ぶようになった。

Aちゃんは三人姉妹の長女で、下に二人妹さんがいた。

大きな一軒家におばあちゃんと、ご両親と子供3人の6人家族で、家に行くといつも妹さん達がディズニー映画を見ていた。

妹さんが小さいこともあってお母さんやおばあちゃんが妹さんにかまったりすることが多いせいだろうか?Aちゃんはなぜだか妹さんには厳しかったり、邪険にしていたり、お世辞にも妹に優しい姉という感じではなかった。

そして家にいる時はおばあちゃんに対してやたらに命令口調だったり、なんだかイラついているAちゃんを見ることが多かった。

私はたまに「おばあちゃんや妹さんかわいそうだな…」と心の中で思うことがあったほどだった。

しかし私と一緒にいる時やクラスの中にいる時はそんな態度は見せずに、明るくてひょうきんで面白い子だった。

それから6年生に進級し、Aちゃんとは変わらずに仲良くしていた。

・・・いや、仲良く一緒にいすぎたといっていいかもしれない。

このころから段々とAちゃんの態度が変わってきたのを私は感じていた。

それは何かというと、Aちゃんは私に対してももおばあちゃんや妹さんと同じような態度をとるようになってきたのだ。

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わがままをいったり、すねたり、ぐずったり、わめいたり。

中でも一番ひどかったのは嫉妬だった。

私がクラスのほかの女の子と話していると、睨まれて、その日の帰り道に「ほかの子と話さないで!」と癇癪を起こされた。

またAちゃんの習い事のお習字教室にも一緒に着いてきてと頼まれ一緒に行ったことがあったのだが、その時も教室でわめいたり、なんとか私を困らせようと駄々をこねたり、それは大変だった。

まるで赤ちゃんの世話をしているような気分にもなった。

しかし私も他の子とだって話したいのであまり気にせず話をしたりしていると、悪口を書いた手紙を渡されたり、修学旅行の時はクラスの半分の女子を味方につけて私の悪口を言っていたらしく(その場にいた子が教えてくれた)、おかげで私は修学旅行中にクラスの半分の女子にシカトされるという苦い思い出がある。

幸いなことに、そういう話に乗らない何人かの女子が味方になってくれ「くだらないから気にしなくていいよ」と一緒に行動してくれたので助かったのだが、修学旅行が終わるとシカトしていた女子もコロッと元通りになり、Aちゃんも何食わぬ顔でまたべったりくっついた来た。

私もだんだん疲れてきて次第にAちゃんとは距離をおくようになっていった。

誘われても断り、何をするにも今はできないと拒否するようにした。

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そして小学校も卒業し、中学校にあがり、同じ中学ではあったが5年生以来初めてクラスが分かれたので私心底ほっとしていた。

しかし私が新しい友達とテニス部に入ったという話をすると、Aちゃんも次の日にはテニス部に入部してきた。

私は少し「嫌だなぁ・・・」と思っていたが、もうお互い新しい友達もいるし小学校の時のようなことは起きないだろうと思っていた矢先、Aちゃんにまた手紙を渡された。

またもや女子のボス的存在の子を味方につけ、2人で書いたのだと言って渡してきた。

私は学校のトイレでその手紙を読んだのだが、例によって終始悪口が書かれてあった。

しかし何故だかもうショックを受けたり傷ついたり、落ち込んだりはしなかった。

それよりも「これでもう仲良くする理由がなくなる!」と逆に晴れ晴れとした気持ちになった。

そしてそれを丸めてごみ箱に捨てた。

肩の荷が下りたような、楽になった気がしていた。

 

その日の部活の時間、私はクラスの友達とテニスを楽しんだ。

Aちゃんの視線は何度となく感じていたが私は気にしないようにしていた。

そして部活が終わるとAちゃんが私のほうにやってきて「あの手紙みた?」と聞いてきたので、私は「うん見たよ」と答えた。

Aちゃんは「ごめんね、昨日は他のことでイライラしていたからあんな手紙書いちゃったけど本心じゃないの・・・」と謝ってきた。

私はただ「気にしてないよ」とだけ答えた。

 

それ以来Aちゃんとは話さなくなった。

中学校の生活にみんなが慣れ始め、はじめは小学校時代の友達と一緒にいることが多かった子でもだんだんと変わっていくものである。

クラスが違うこと、手紙で絶交を言い渡されたこともあり、Aちゃんとの接点はいつの間にかなくなっていった。

そして次第にAちゃんは部活に来なくなり、いつの間にか不良グループの女の子たちと付き合うようになっており、学校もたまにしか来なくなった。

噂では不良グループのリーダー格の男の子と付き合っていて、それから変わったとみんなが言うのを聞いた。

犯罪行為や悪いこともやるようになり、頭を染めて来たり、中学校の3年間でAちゃんは信じられないくらい変わってしまった。

中学3年生の時、たまたま同じ選択授業で同じ班になった時「久しぶりだね」と話したことがあったが、すっかり人が変わっていて、けだるい雰囲気で威圧感のある女の子になっていた。

 

その後の彼女を私は知らない。

人の話では私立の女子高に行った、街で制服を着て歩いているのを見かけたけど真面目でおとなしそうな子になってたよというのを聞いた。

元気でいてほしい・・・と思った。

そして36歳になった今でもたまにAちゃんのことは思い出す。

11歳で初めて会った時の彼女の人懐っこさ、はじけるような笑顔、ひょうきんな人柄は、彼女の中にある魅力的な部分の一つであったことは間違いないのだから。

今どうしているかな、もう知る由もないのだけれど元気でいるといいな…とふと考える。

東京でできた初めてのお友達。

何だか苦い形で終わってしまったけれど、一緒に遊んだこと、いつも二人でいた頃のことは今でも忘れられない。

心の中には笑顔でひょうきんなAちゃんが今も私の中にいる。

あなたのおかげで東京の小学校楽しかった!

夏になると思い出す11歳の頃のお友達との思い出です。

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