大学時代~面接で切り抜けてきた人生~
ブログ生活25日目
ここ二日ともブログを書いていつも通り21時に設定して投稿しようとしていたのだが、直前になって「やっぱりやめよう」とボツにしてしまった。
恥ずかしくなったのと、こんなこと書いたら引かれるな…と怖気づいてしまったことが理由なのだが、せっかく書いたブログなので、いつか自信が付いたら投稿していこうと思う。
今日は以前にも書いた夜間の大学に通っていた頃のことを書こうと思う。
そもそも、高校で進路を決める時、私は絵の方面の学校に行くか、もう一つ興味のある分野の方面に行くかで大いに悩んだ。
その興味のある分野とは「心理学」だ。
私は昔から、頭が悪いくせに物事を納得するまで考えないと気が済まないたちだった。
どうしてこうなるのか、どうやってこうなったのか、なぜこうなるのかと、どうでもいいようなことでも疑問に思っては、悪い頭を混乱させていた。
小学校の時によくTBSラジオの「子供電話相談室」に電話をして、「なぜ砂漠には水がないんですか?」だの「どうして土の中の虫は窒息しないんですか?」と言ったことを質問しまくっていた。
それが見事当選(?)してラジオに出演したこともあり、緊張しすぎてマヌケな失敗をしてしまった。
その話をすると長くなるので、また別の日のブログに改めて書こうと思う。
とにかく昔からよく言えば知的好奇心が旺盛だった。
大きくなるにつれて、今度は哲学や心理学に興味を持ち始めた。
「どうしてこの人はこういう言い方をするんだろ」
「どうしてこういう行動をとるんだろ…」
「どうして…」
図書館や書店に行っては簡単に読めるような哲学の本などを読んだりしていた。
結局デザインの専門学校に行ったのだが、私の中の心理学熱は冷めることはなく、22歳の時に心理学を学ぶため夜間の大学へ通うことにしたのだった。
頭の悪い私が大学へ入れたのも、この大学の夜間学部の試験が小論文と面接だけだったからだ。
いわゆるアメリカ大学教育方法を取り入れた大学で、入学の門が広いのだ。
しかし卒業が大変という方式だ。
これは自慢になってしまうのだが、私は面接が得意なのだ。
もちろん好きではない。むしろ面接なんて大嫌いなのだが、なぜか得意なのだ。
その証拠に、受験というものを過去に一度もしたことがない。
高校の時は志望校の偏差値にギリギリで、先生にも「まぁとりあえず(無理だろうが)推薦から受けてみろ」と期待ゼロで送り出されたのだが、推薦入学に見事合格したので受験をせずにすんだ。
私も、親も、先生も「推薦合格の見こみなし」と思っていただけに、みんなが唖然としていた。
そして高校卒業後、専門学校には特待生入学試験というものがあり、入学金や授業料が免除になる試験が実施されていた。
数人の生徒にのみ与えられるものなので、落ちて当たり前、受かったらめっけもんくらいの気持ちで特待生試験の面接を受けてみたのだが、これまた受かってしまい、私は晴れて特待生で入学し、親を楽にさせることができた。
私は極度の緊張しいだし、心配性の取り越し苦労の性格は人より抜き出ていると思っている。
面接の前なんて震えて頭真っ白になるほど緊張するのに、何がそんなに面接受けがいいのか自分なりに考えてみた。
もしこれから面接を受ける人の何かの参考になれば幸いである。
一つに声の大きさだ。
私は声がよく通る。子供の時から近所中のおばさんに「本当にレモンちゃんの声はよく聞こえるわ~」と度々言われるほどだった。
いつだったか歯医者さんでレントゲンを撮ったときに、声を響かせる鼻腔がものすごく広いと言われ、「オペラとか演劇をやられてる方ですか?!」とビックリされたこともあった。
そしてそう、私は高校の時演劇部だったこともあってか、緊張しいのくせにいざ舞台に立つと全く緊張しなくなる。
その舞台度胸ともいうような根性と、声の大きさは大きなポイントだと思う。
面接官に「君は声が大きくてハキハキしてていいねー!」と言われたからだ。
もう一つあるとしたら、型にはめないしゃべり方だ。
最初の入退場ぐらいは練習していたが、話す内容は決めていかなかった。
セリフじゃないんだから、決めていく方が緊張すると思って毎回その場の気持ちで答えた。
大きな声でハキハキ、元気に明るく、型にはめないしゃべり。
…まったく参考にもならないかもしれないが、もし役に立てたら幸いです。
明日は大学時代のその2、入学してから鬼のような日々を書いていこうと思います。
今日も読んでくれてありがとうございます!