うつ病になりかけた職場②
ブログ生活139日目
※今回のブログは前回の「うつ病になりかけた職場①」の続きになります。
耳鳴り、職場に鉄格子が見える幻覚、無意識に線路ばかり見つめてよからぬことが頭に浮かぶ日々・・・
私と同じ時期に新卒で正社員として入社した子は、「十数人いた同期がもう私を含めて2,3人しか残っていないんです」と打ち明けてくれたのは、私がそうしたストレスに悩まされていた時だった。
半数はうつ病や過労・ストレス性の疾患を患い、1年も満たないうちにほとんどが辞めてしまった・・・と彼女は肩を落とした。
私はアルバイトとして入社したが社員同様に同期が10名ほどいた。
初めの3か月くらいは勤務の合間に本社で研修を受けに行っていたので同期のアルバイトの子たちとは別々の店舗であったけれどいつの間にか仲良くなり、連絡を取りあい食事や飲みに行く機会も多かった。
しかし勤務年数が半年も過ぎると1人また1人と数が減っていき、1年経つころにはたった3人だけになっていた。
たまに開かれる3人だけの食事会も私を含めみな最初のころのような希望に満ちた目や元気さはなく、出てくる言葉は「やめたい」「しんどい」「のがれたい」と言ったものばかりだった。
その「私だけじゃない」というわずかな安堵感だけでなんとか出勤できているようなも状態だった。
そしてついに私の身体に異変が起きた。
ある休みの日。
私は昼食を近くのモスバーガーに食べに行っていた。
残暑の残る8月の末のことだったように記憶する。
その時はいつもと変わらずに元気だった。
私はその頃休みの日にパソコン教室に通っていたので、昼食を済ませて家に帰り夕方にはパソコン教室に行く予定でいた。
家に着き、夕方までの時間ちょっと横になろう・・・とリビングの床に寝っ転がった瞬間・・・
まるで米俵を身体に乗せられているような重力を感じた。
並大抵の倦怠感ではなかった。
起きようにも起きられない。
「あれ?え?」と少し焦るほどである。
「やばいやばい、パソコン教室いかなきゃいけないのに・・・」と気ばかり焦るが、意思でどうにか体を起こせるレベルではなかった。
拘束されているような、誰かに乗られているような突然の体の重み。
いまだにあの時の倦怠感だけは今思いだしてもゾッとするほどである。
自分の意思ではどうにもならない状態と言うのは本当に恐怖でしかないのだ。
結局パソコン教室に行く時間を過ぎても状態は変わらず、私はついに行くのをあきらめるほかなかった。
そしてその日の夜、今度は体の関節の痛みと鈍器で殴られるような頭痛に襲われたのでこれはおかしいと思い熱を測ると「39℃」にまでなっていた。
怖かった。
何度も計りなおしたが変わらない。
呼吸が苦しい・・・
ゼイゼイと息をしながらその日はなんとか眠りについた。
しかし夜が明けても熱は下がることはなく、むしろ「39.5℃」にまで達していた。
私は早速職場に連絡を入れ、事情を話しその日は休みをもらった。
そしていつも行っているかかりつけの診療所に行ったのだが、熱と倦怠感と頭痛以外に症状がないので「原因不明」と診断され解熱剤だけ処方された。
解熱剤を飲むと一時的に熱は少し下がったが、時間が経つとまた「39.5℃」近くまで跳ね上がる。
これは明日も無理そうだと再び職場に電話をすると店長に「とりあえず3日間休んでください」と言ってもらえた。
しかし3日経ってもなんら状況は変わらなかった。
結論から言うと私は1週間39℃以上の熱が下がらなかった。
その間に大きな市立病院にも行き血液や検尿などの検査もしたが結果は「原因不明」だった。
そして先生には「もしかしたらガンや膠原病の疑いもあります。今回出す解熱剤を飲み切ってもまだ熱が下がらなかったら精密検査をするのでまた来てください」と言われた。
とにかく怖かった。
店長に三度電話でそのことを伝えるとさらに1週間の休みをもらえた。
この時ばかりは本当にありがたかった。
そして病院からもらった解熱剤が底をつきそうになっていた頃、私の高熱はスッと下がり、まるでもう何もなかったかのようにみるみる元気になっていった。
後に思った私の勝手な自己診断だがこれは「心因性の発熱」だと思っている。
私の体がストレスを感じて耳鳴りやら幻覚を見せて教えてくれていたのに、年齢的な不安と焦燥から「ここで働くしかない!」と思い込んで体の変化に見て見ぬふりをしていた。
それがこの結果を招いたのだと思っている。
しかし職場に復帰してからもしばらくは私は働き続けた。
その間に、最後まで残っていた3人いた同期の1人はストレス性の夜尿症を発症するようになったことがきっかけで退社していた。
私も年齢とかプライドとか意地とか言ってられなくなってきて、このままでは本当にうつ病か自殺を考えるようになる・・・いいや、もうすでに片足を突っ込んでいる・・・という自分の精神状態に気が付き退社を決意した。
しかしもちろんすぐにはやめられなかった。
実際に退社できたのは申告してから約3か月後のことだった。
「人がいないから」という理由で引き伸ばされたがそれも仕方がない。
最後まできちんと働かなくてはと言う気持ちだけで何とか乗り切った。
結局私が辞めた後すぐに私と同時期に入ってきた新卒の社員の子も辞め、他のベテランににいじめの様な扱いを受けていた9年歴のベテランの子もすぐに辞めた。
その1~2か月後には残ったベテラン勢が次々に辞め、ベテラン勢と同様に勤務年数の長かった社員はアルバイトに降格し、その後辞めてしまったと聞いた。
そして店長はまた別の店舗に移動になり、結局私が辞めて半年もしないうちに一緒に働いてきた従業員みんないなくなってしまた。
でも私はいまだにあの時の夢を見る。
ベテランや社員・店長に無視されたり注意されたり追いつめられる夢を見て生きた心地がしない。
もう誰一人知っている従業員はいないと知っていても、鉄格子の見えたお店にはあれ以来一回も行っていないし近づけない。
後に聞いた話では、新卒の社員の中には自ら命を絶ってしまったという方もいたという。
今の若い人はすぐやめるとか、根性がないとか言われることが多いけどすべてが悪いこととは私にはどうしても思えない。
少なくとも私が見てきた辞めて行った人達は、誰もが真面目で勤勉で(それが故になのかもしれないが・・・)礼儀正しい人達ばかりだった。
もちろん長く働くことで楽になる部分も、当初抱いてた嫌悪感もなくなることもあるし自信にもつながるのかもしれないが、私はこう思う。
「体が資本」「命あってのもの」「絶対はない」ということ。
やめたから良かったこと、やめたから自分を守れたのだ。
執着しないで次へ進むというのは決して悪いことではないし、ましてや身体や精神を壊してまでする仕事なんてこの世には一つもないと思う。
むろん中には様々な理由で歯を食いしばって働いている方も、我慢や苦痛に耐えて、それでも働かなきゃいけない方々もたくさんいるのだから私のようなものが偉そうに言う資格はないのは重々承知なのだが・・・
それでも過労死や職場のストレスによるうつ病や精神症状の発症と言うような話を聞くと他人事とも思えず、「身体が第一だよ」「命を奪っていい仕事なんてこの世にあってはならない」と思ってしまうのである。
私は退職後しばらく休養した。
もう人生が終わったように感じてた。
周りは結婚してるかそれなりの地位について働いているひとばかりで、とにかく自分がダメ人間・落ちこぼれ・負け犬のように感じていた。
しかしそんなことで自分を責めて落ち込んでいても仕方がない。
いくら嘆いたってないも始まらない。
それならばもう人の目も世間体も気にせず、ただ私が純粋にやりたいことは何だろう・・・と心の声が聞こえてくるのを待った。
本日のブログはここまでにします!
続きはまた明日書きます。
本日も読んでいただきありがとうございました!